黄金の鈴

 2029年、4月。北海道白老町にあるサラブレッド生産牧場〈たくみ牧場〉。

 一頭の繁殖牝馬は最後の子を産み落とそうとしていた。彼女は自らの命と引き換えにして娘を残した。


「コヨ、ごめん!」 

「コヨ、ありがとう」 

「よく頑張ったね。おやすみ」 


 牧場の者たちは彼女の死を悼む。牧場のオーナーの甥であるゾロタル謙次 けんじは、妻と共に涙を流す。謙次は彼女の名付け親だった。

「コヨ、天国でも元気でな」

 謙次の父ゾロタル・セルヒーは元々ウクライナから日本の北海道大学に入学し、そこで当時の匠牧場の社長匠謙介 たくみ けんすけの娘である匠織江 たくみ おりえと出会い、恋に落ちた。セルヒーは彼女と一生を共にするために、日本国籍を取得した。そして、セルヒーと織江夫妻は白老町内で定食屋〈飯屋ぞろたる〉を経営しており、匠牧場の現在の社長は織江の姉の夫である。この謙次の義理の伯父は、セルヒーの北大時代からの友人である。

「俺の苗字〈ゾロタル〉の意味は、この子の父親の名前と同じだ」

 謙次は言う。そう、ゾロタル(Zolotar)はウクライナ語で「金細工師」を意味するのだ。すなわち、あの名馬の名前と同じ意味なのだ。それゆえに、ゾロタル家の者たちの中でも特に謙次は、その馬とその娘に対して愛着心を抱いていた。

 その「金色の暴君」の孫娘には、新たに乳母が付けられた。その乳母となった雑種馬には〈アヴァロン〉という名が付けられていた。 


 父譲りの明るい栗毛の牝馬は、その生涯を終えた。日本競馬界の7代目クラシック三冠馬である「金色の暴君」オルフェーヴルの娘として生まれた彼女は、父親の名前からの連想でその女神の名前を付けられていた。

 コヨルシャウキ。古代アステカの月の女神であり、その名は「黄金の鈴」を意味する。その女神の弟ウィツィロポチトリの名は、奇しくもこの牝馬の半弟として生まれたゴールドシップ産駒に名付けられた。

 そう、この姉弟の名前こそが、この一連の物語の中核を暗示するものだった。


 フォースタス・チャオとアスターティ・フォーチュンは、札幌市内で果心居士こと井桁毅 いげた つよし松永緋奈 まつなが ひなと出会っていた。

「匠牧場にいたオルフェーヴルの娘が亡くなった」

 果心は言う。フォースタスは沈痛な表情でうなずく。

「あの父親そっくりのきれいな栗毛の牝馬か。名前は確か、コヨルシャウキだっけ」

「アステカの女神の名前。しかし、実際の女神コヨルシャウキは元々、謀反の罪という濡れ衣を着せられて、弟のウィツィロポチトリ王に粛清された王女だった」

「何だか、劉徹の息子みたいだな」

「それにしても、世界各地に似たような話はあるよね」

  アスターティは言う。

 「ウィツィロポチトリって、私たちが追う〈彼〉そっくりでしょう。多分、〈総長〉シャマシュ公の親友だったあの男神 ひとの分身としてアステカにいたのね」

 アスターティの発言に対して緋奈は応える。 

「私たちの久秀もその一人であり、フォースタスの先祖でもあった商君もそうだった」

「それにしても、今の日本社会はあまりにも荒み過ぎた。しかし、むしろ前世紀の80年代こそが良くも悪くも異質だったのだろうな」

 フォースタスはため息をつき、西の空を見上げる。夕焼け空は徐々に藍色を帯びつつある。 

「イシュタルとか、ゼウスとか、オーディンなどの大物たちだけではない。あの暗黒の大地母神〈タキア〉、九尾の狐妲己 だっきだっているのだから」


「皇帝は、私の顔を見たいだけなのだ」 

 田横は従者たちに言う。

「犠牲は私一人で十分。他の者たちを巻き添えにはしたくない」

 彼は「天下万民の平和のために」この世を捨てる事を決めた。かつての大国の末裔、そして最後の「王」としての誇りだけではない。天下万民のため、彼は自らの首を切り落とし、従者たちにそれを洛陽の街に届けさせた。 

「田横殿、この世は今もなお病んでいるよ。それでも、俺は父上の代わりにあなたに償いたい。天下万民の平和を取り戻すために」

 その田横を間接的に殺してしまった男の一人息子として、果心は今もなお罪悪感を抱いている。

 自分たちが属する「人類の進化を司る神々」の組織〈アガルタ〉は、ヒマラヤ山脈の地下で密かに恒星間宇宙船〈アヴァロン〉の建設を進めている。 

 果心と緋奈は札幌市内にあるホテルの一室で、タブレット端末を手に取り、〈アガルタ〉の情報網のデータを見ている。おそらくは、別室に泊まっているフォースタスとアスターティも同様だろう。

「本来の力を取り戻したあいつは、シャマシュ公の妹である〈あの女〉と共にどこかへ消えた。〈太母〉ティアマットの呪いによって、あいつらは…」

 果心は思い出す。恐るべき〈白き女神〉が弄ぶ血腥き淫虐。太陽に逆らう明けの明星、光をもたらす者。そう、かの者は果心から力を貪る事によって、彼の中にいる「彼」を身ごもり、産み落とした。そして、「彼」は〈白き女神〉の兄である〈アガルタ〉の総長シャマシュに保護されている。

「父上…」 

 インターネットを通じてその名を知られた謎のミュージシャン、ランスロット・フォースタス。彼の正体を知る者は地上にはほぼいないが、一部の〈アガルタ〉関係者たちには知られていた。

 果心はタブレット端末でランスロット・フォースタスの動画を観る。風変わりな映像を伴うエレクトロニック・ダンス・ミュージック。中毒性のある音楽性は、世界中でカルト的な人気を博している。

 しかし、ある時期を境に、ランスロット・フォースタスは楽曲の発表をやめた。

「父上はあいつに取り込まれたのだ。あいつの最後のピースとして」


《わたし、死んじゃったの?》 

 その魂は嘆く。 

《ケンジにお別れを言えないまま、わたしはここにいる》

 金色に輝く魂は、太平洋沖のはるか上空をさまよっている。このまま昇っていくのか。彼女は自分をかわいがってくれた人間の青年を思い出す。

《わたしの名前は、ケンジからもらったもの。「黄金の鈴」という意味だって。わたしのお父さんにあやかった名前なんだって》

 彼女は自分の父を伝聞でしか知らない。しかし、彼女の美しい栗毛の体毛は、彼女の父親から受け継いだものだった。

《わたし、このまま消えてしまうの? 嫌だ、消えたくない! わたしは…生きたい》

「ならば、俺について来い」

《誰?》 

 一人の銀髪のたくましい美丈夫が、金色に輝く魂を手に取る。

「美しき魂よ、俺と共にあれ」 

 男の金色の眼が妖しく輝く。

《あなた、誰?》

「俺は〈わざわいをはかるもの〉、四つの風の王だ」

 金色の魂は男の体内に取り込まれ、男は風の中に消えていった。

【MISIA - INTO THE LIGHT】