大いなる転換点

 353年7月7日、すなわち私の誕生日。アヴァロン大学を無事に卒業した私は、フォースタスと共に記者会見を開いた。邯鄲ドリームの社長ヴィクター、私のマネージャーであるミヨンママ、アガルタのマーシャ・ウキタ所長、ミサト母さんとシリル父さん、そして政府要人たちがいた。

 そこは大統領府だった。私は全世界に語りかける。 

「今日、私、アスターティ・フォーチュンはフォースタス・チャオ氏と結婚いたしました」

 取材陣らがざわめく。

「私は研究機関〈アガルタ〉で生み出された人造人間〈バール〉です。そして、人間社会で人間として育てられました」

 ホールの空気が動揺する。

 アガルタのウキタ所長が説明する。

「私たち人類は、 しゅ としての危機を迎えています。医学の進歩により寿命が延びた人類ですが、長い年月を重ねるにつれて、かつての人類に比べて脆弱な種となりました。私ども〈アガルタ〉は活力を失いつつある人類を蘇生 ・・ させるために〈アガルタ・ソロモン・プロジェクト〉を立ち上げました」 

《何だって!?》 

《どういう事だ?》 

 コートニー・サトクリフ大統領は、ウキタ所長の発言を引き継ぐ。

「かつて、バールたちは人間の亜種として生み出され、私たち人類のために働きました。しかし、私たち人類は彼らをかつての奴隷制度の如く虐げました。私たちが地球連邦から独立する際にも、多くの人間たちと共に多くのバールたちの血が流されました」 

 ホールは沈黙し、大統領の演説は続く。

「アヴァロン連邦初代大統領アーサー・フォーチュンは『奴隷解放』宣言をしました。すなわち、バールたちの人権宣言です。地球連邦政府の圧政に共に立ち向かったバールたちを、同じアヴァロンの民として認め、受け入れよう。そして、共に生きていこう。フォーチュン大統領は宣言しました」 

 アーサー・フォースタス・フォーチュン。この惑星 ほし の「国父」として今もなおアヴァロンの民たちから愛される傑物。

 人はこう呼ぶ。すなわち、「アーサー王」と。

「フォーチュン大統領夫人、エスター・ナナ・フォーチュンは元看護師でしたが、彼女はアスターティと同じバールであり、本名はここにいる彼女と同じ〈アスターティ〉でした。フォーチュン夫妻には実子はいませんでしたが、私たちアヴァロンの民はフォーチュン夫妻の子供たちであり、母なる惑星 ほし アヴァロンの子供たちです」 

 アーサー・フォーチュンは、出自不明の捨て子から大統領の地位にまで登りつめた人であり、アヴァロン連邦史上最も出世した人物である。地球史に似たような人物がいるとすれば、中国・ みん の太祖朱元璋 しゅ げんしょう だろう。しかし、フォーチュン大統領は朱元璋とは違って、功労者たちを粛清しなかった。

 かつてフォースタスは、フォーチュン大統領を「後漢の光武帝劉秀とアーサー王を足して2で割ったような人だよ」と評価した。 

「私たち連邦政府は、研究機関〈アガルタ〉との連携により、人類とバールを再統合する〈アガルタ・ソロモン・プロジェクト〉を立ち上げました。人類から奴隷人形として扱われたバールたちを再び『人』に戻す計画です。そして、今のこの惑星 ほし には二つの大河が一つの流れになり、それから生まれた子供たちがいます。私の孫にも人間とバール双方の血を引く新人類がいます」 

《何だって! 大統領の身内に〈ハーフバール〉がいるって?》 

《〈デミバール(demibaal)〉…単なる都市伝説ではなかったのか!》 


✰ 


 記者会見の様子は、全世界に配信された。

 私の正体が全世界に知られて以来、私とフォースタスは外に出かけづらくなった。パパラッチが待ち構えているかもしれない。そう用心する私たちは、買い物やメフィストとの散歩には慎重だった。恐る恐る、試しに出かけても、面と向かってぶしつけに突っ込んでくる記者などはいないが、どこかで誰かが私たちを見張っているだろう。

 結婚式は、私たちの家族や友人たちだけのささやかなものだった。9月になり、フォースタスと私はメフィストを連れて、アガルタ特別区の奥地にあるキャムラン湖の別荘に行った。 

「一週間ほどここにいよう」

 この休暇が私たちの新婚旅行だ。

「夏になったら、ランスやスコットらと一緒にキャンプに行きたかったけど、今は難しいな。ただでさえ、みんな忙しいから」

「ごめんなさい」

「何でお前が謝る?」

「あなたに迷惑をかけているから」 

「そんな事言うな。少なくとも、俺もお前と同じ立場だ」 

「ありがとう」 

 私はフォースタスの手を握る。フォースタスはさらにその上にもう一方の手を重ねる。

「…ようやっと、子作り解禁だな」 

 フォースタスは顔を赤らめ、私も頬が熱くなった。 

 メフィストはすでに寝ている。大きな籠にクッションを詰めたベッドで、かすかないびきをかいて熟睡している。私たちも寝室に入る。 

 今までとは違う夜。私たちはいつも以上に真剣だった。 


「バターに、マーマレード。それに蜂蜜。うまいぞ」

 今日は9月6日だ。私たちは朝食としてパンケーキを作って食べている。

「このマーマレード、おいしいね」 

「やはり、邯鄲フーズのジャムはうまいな」 

 身びいき抜きで高品質。それが邯鄲ホールディングス傘下の総合食品メーカー、邯鄲フーズの商品だ。 

 今の私たちの周辺には、パパラッチたちの気配はない。政府の圧力があるのか、それらしい様子はない。しかし、それがかえって不気味だ。 

 私たちは、メフィストにリードをつけて、散歩に出かけた。

「いい天気だ」 

 晩夏の緑の中、私たちは森の小道をブラブラと歩いていた。 

「ん? どうした、メフィスト?」 

 フォースタスがメフィストの様子がおかしいのに気づいた。メフィストはどことなく浮かない顔をしている。

「大丈夫か? 具合が悪いのか?」

「…何だか、嫌な予感がするんだ」

「嫌な予感?」 

「地震が起こる前に感じるような寒気が…」 

「何だって?」 

 その瞬間、地面が大波のように揺らいだ。私たちは転がり、激しく揺さぶられた。フォースタスは私とメフィストを抱きかかえた。

「こんな大地震、めったにないぞ!」 

 私たちはフライパンの中の炒め物のように揺らされる。大地に叩きつけられるのが痛い。この世の終わり、そんな言葉さえ思い浮かぶ恐怖。私はフォースタスの温かい身体にしがみつく。しばらく揺らされ、徐々に収まっていく。

「…大丈夫か? アスターティ、メフィスト?」 「俺は大丈夫だけど、アスターティは?」

 私はしばらく言葉に詰まる。震えが止まらず、フォースタスにしがみつく。フォースタスはそんな私を抱きしめる。

 私たちは立ち上がり、別荘に戻った。建物自体はある程度震源地から離れているであろうおかげで崩壊していないが、部屋の中は色々と散乱している。

「一体、どこから手をつけりゃいいんだ!?」 

 フォースタスがぼやきながら部屋をうろつく。私は南の窓から外を見た。

 赤い。

「フォースタス、アスターティ。アガルタに頼ろう」 

「メフィスト?」 

 そこに余震があった。

「アガルタなら、マツナガ博士らもいる。あそこに行こう」 

「そうだな…。今頼れるのはあそこしかない」

「車は?」 

「いや、危ない。面倒だけど、徒歩で行こう」


「色々と匂う」 

 メフィストが言う。 

化学的 ケミカル な意味での匂いだけでない。それとは別の何か ・・ の匂いがするんだ。犠牲になった誰かや何かの精神 こころ の匂いだろう」 

 フォースタスが言う。

「なるほど、霊感みたいなものか。確かに、あれほどの大地震なら、都心部の犠牲者が多いはずだ。しかし、端末が満足に使えないぞ」 

「やはり、インフラが…」

 タブレット端末は地図を映し出す。一応、アガルタのある南の方角を示しているが、ニュースサイトなどは見られない。

 私はフォースタスの手をしっかりと握りしめ、フォースタスはメフィストのリードをしっかりと握りしめる。まだまだ震えがある。 

 私たちは、キャムラン湖にはフォースタスの車で来た。私の車は自宅に置いてある。私たちは車を置いてキャムラン湖から離れた。

 子供。昨夜、私はフォースタスの赤ちゃんを宿したかもしれない。私は自分のお腹に触れる。 「とりあえず、持てる限りの食料を持ち出せて良かったな」 

 フォースタスはリュックサックから食料を出そうとした。

《ザザッ…》 

「ん?」 

 熊だ。野生の熊が現れた。こっちに近づいてくる。 

「いかん! 逃げろ!」 

 私たちは逃げ出した。私はフォースタスの手を握り、フォースタスはメフィストを抱きかかえて、全力で走った。熊は私たちを追いかけてくる。

「何てひどい日なの!?」 

《グォッ!?》

 後ろで熊がバタリと倒れた。

 「しばらく気絶させておく。殺してはいない」

 おそらくフォースタスと同年代であろう男性の声が聞こえる。そして、後ろから一組の男女が何人かの避難者らしき人たちを連れて近づいてきた。 

「フォースタス、アスターティ。アガルタは都心部に救援隊を送っているけど、まだ人は残っているぞ」 

 私は目を見張る。以前見た夢に出てきた男女にそっくりな二人。

 「あんたら、誰だ?」

 「俺は果心 カシン 、こいつは緋奈 ヒナ 。君の『ファウストの聖杯』の主人公たちと同じ名前だ」 

「私たちもあなたたちに同行するわ」 

「え…?」 

 果心と緋奈と名乗る男女は、私たち避難者たちを率いて、アガルタに向かう。白い建物が並ぶ地区が見えると、二人は私たちに別れを告げる。

「フォースタス、後は君に任せる」

「果心、ありがとう」 

「それでは俺たちは行く。さよなら」 

「あ、待って!」 

 果心と緋奈は消えた。

「何だ!?」 

 残された避難者たちはどよめいた。人間が消える。しかし、そのような怪異は、先ほどの大震災と比べれば些細な事に過ぎない。

 私たちは、アガルタの研究所の窓口に立ち、助けを求めた。研究所は、私たちを受け入れた。


「まずは、お前らが無事で良かった」 

 マツナガ博士が言う。私はフォースタスと一緒に、博士の部屋にいる。メフィストは実験動物のフロアで検査を受けており、他の避難者たちは宿舎に収容されている。アガルタの研究者たちの宿舎で常に空室が確保されているのは、このような事態に備えるためなのだ。

「良い知らせと悪い知らせがある。良い方は、お前らが無事にここに来てくれた事だが、悪い方はシャレにならん」

「悪い知らせって何ですか?」 

 私は博士に尋ねたが、博士はタブレット端末を見せて答えた。

「今日の午前10時過ぎ、2機の旅客機がハイジャックされた。一方はアヴァロンシティの地球史博物館タワーに、もう一方は大陸のアレクサンドリア図書館に激突した。その瞬間、あの大地震が起こった」

 端末には、その決定的瞬間が映し出されていた。 

「地球史で言う『3.11』と『9.11』が同時に起こったのだ。アヴァロンシティの都心部は大火災が起こり、鎮火活動をしている。さらに沿岸部には大津波があった。死者や行方不明者の数はまだ分からんが、アヴァロン史上最大にして最悪の惨事だ」 

「事実は小説よりも奇なりとは言え、こんなのアリかよ…!」

 フォースタスは青ざめる。

 博士は言う。

「お前たちの部屋を用意している。後で係の者に案内させるから、ゆっくり休め」 


 ちょうどそこに重大な知らせがあった。

「マッチョマン」プレスター・ジョン・ホリデイ知事を擁するソーニア州が、アヴァロン連邦からの「独立宣言」をした。

【Queensryche - Operation: Mindcrime】