71年生まれ、アケチ・シオン(仮名)―チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』―

 私には十歳下の弟がいる。現在は疎遠になっているが、もし彼が「弟」ではなく「妹」だったら、すなわち女性だったら、どのような人生を歩んでいたのだろうか? 当記事で取り上げる小説は、日本人である私の弟と同世代の韓国人女性の物語である。 


 韓国の作家チョ・ナムジュ氏の小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)は、韓国で大ヒットし、物議を醸し出した作品である。語り手は、主人公キム・ジヨンを担当する精神科医であり、この医師のカルテとして小説本文が記されている。主人公のフルネーム「キム・ジヨン」は、1982年生まれの韓国人女性の名前として最も多いものらしい。つまりは、主人公の名前や存在自体が、平均的な韓国人女性を示す。ジヨンは大卒者(しかもソウル生まれ)だが、仮に日本版キム・ジヨンがいれば、彼女は大卒者だろうか? 学歴と出身地が鍵か? 

 私はアマゾンでこの本を注文したが、家に届いたのを手にして開封した際は、物理的な意味では意外と薄めの本なのに驚いた。長編ではなく中編か? 読んでみる。少女時代(注.有名なK-POPグループに非ず)の食べ物の恨み。さらには、生まれる事自体を許されなかった幻の「妹」。「亭主関白」が「実は妻が天皇」という事態が案外少なくない日本とは比べ物にならないくらいに、えげつない男尊女卑社会。その韓国社会と比べれば、日本は儒教文化圏の中では比較的、男尊女卑要素は弱めだと思う(もちろん、地域差や世代差などの違いはあるが)。

 しかし、両親(母、実父、継父)いずれも日本人である私にとっても他人事ではない点がある。私の母方の祖父は初孫の私をかわいがってくれたが、祖父の子供は(私の母を含めて)娘だけが5人いた。つまりは、息子が生まれるまで「がんばって」あきらめた結果の5人の娘たちである。この辺からして、祖父が男児の誕生を期待していたのがうかがえる。そして、息子を得られなかった祖父の焦りこそが、自らの長女(私の伯母)に対する嫌悪感の要因だっただろう(もちろん、他にも理由になり得た要素は色々とあるが、当記事とはあまり関係ない)。 


 そう、「男」全般に対する過大評価こそが「女」を苦しめるのだ。 


 キム・ジヨンは小学校時代、男子クラスメイトにいじめられて、担任の先生から「男の子は好きな女の子に対して意地悪したくなる」という迷信を教わり、混乱する。だったら、男同士のいじめは同性愛的な好意の表れなのか? ジヨンは、自分と同世代の未成年男子の「有害な男らしさ」を嫌う。しかも、校内ぐるみでの男尊女卑がジヨンら少女たちを苦しめ、怒らせる。中学校や高校に進学しても、「男」は敵である。大学に進学して彼氏が出来ても、「リア充」とは呼べないわだかまりがある。就職しても閉塞感がある。ましてや「結婚は人生の墓場」だ。

 男性キャラクターたちの中で唯一名前が設定されているのは、ジヨンの夫だが、この優しい夫も無意識にジヨンを追い詰める。


 小中学校時代までの時点では、確かに私とキム・ジヨンとの間に接点があった。私は義務教育時代、男子クラスメイトたちから「バイキン」呼ばわりされていじめられていた。私はそんな男子たちから逃れるために女子高に進学したが、そこで改めて「女の敵は女」という厳しい現実を思い知らされ、一時期は円形脱毛症を患い、不登校になりかけた。少なくとも、ジヨンは私ほどには同世代の同性には苦しめられてはいないし、決して女子カースト底辺層ではない。

 大学に進学したくても、自らの学力や経済力、並びに親の理解がないまま、私は高卒で非正社員の仕事を転々とし、さんざん迷走した挙げ句、心を病み、失業した。そう、私は「東電OL」にも「キム・ジヨン」にも、そして「木嶋佳苗」にもなれなかった「女でも男でもない生き物」として扱われてきたのだ。つまりは、私の不幸は「女だから」「女のくせに」以前の問題なのだ。そして、この世の大半の男性たちは、私のような「弱者女性」を「女」だと認識しない。

 都会っ子の大卒韓国人女性キム・ジヨンと、田舎の高卒日本人の女である私との接点は、義務教育時代に男子クラスメイトから受けたいじめくらいだ。他は正直言って「他人事」の要素は少なくない。要するに、かつての日本の「東電OL殺人事件」並びにその被害者に対して「共感」をした高学歴・高職歴女性みたいな事態である。つまりは、女性はどれほどキム・ジヨン氏との接点があるかどうかで、さらには「東電OL殺人事件」に対してどう思うかで、女子カーストにおける立ち位置が分かるのかもしれない。私なんて「女でも男でもない生き物」扱いでしかなかったもんね。


 最後の語り手の「ダブルスタンダード」に対して反感や違和感を抱く読者(特に女性)は少なからずいるようだが(私もさすがに「そりゃあんまりだべ」と思った)、その男性精神科医の「偽善」があればこそ、この小説は完成している。それがなければ、多分かえってこの小説の評判は下がっただろう。仮に一人だけ「女にとっての真の理解者である男」がいても、この小説は安っぽいご都合主義の「おとぎ話」に成り下がるだけでしかない。

【KARA - ミスター】

 ちょうど、メンバーに「ジヨン(Jiyoung)」さんがいるのでね。