致命的な裏切り

 惑星アヴァロンにおける最大の大陸は、かつての地球にあったとされる「超大陸」にちなんで〈パンジア〉と呼ばれる。アヴァロン諸島の東にあるこの大陸の南部に、ソーニア州がある。そこの知事プレスター・ジョン・ホリデイは、カルト教団〈ジ・オ〉並びにその政治部門である政党〈神の塔〉を後ろ盾とする人物である。元弁護士である彼は、一見精力的な男前の人物だが、色々と黒い噂が後を絶たない。

 人気女性歌手ロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンド、愛称〈ロクシー〉には、この男との不倫疑惑があるが、彼女の男性関係はそれだけに留まらない。 

 ソーニア州知事や〈ジ・オ〉に対して反感を抱く者たちは、〈ジ・オ〉支持者が多いソーニアを「有刺鉄線州」と揶揄する。リベラルを自認する者たちは、ソーニアの保守性を軽蔑しており、この地を一種の強制収容所に見立てているのだ。アヴァロンシティ以外で一番バール殺害事件が多いのは、ここソーニア州だった。

「あのマッチョマン」 

 プレスター・ジョンに対して反感を抱く者たちは、彼を「マッチョマン」と呼ぶ。アンチ連中は、彼のあざとい男らしさアピールを軽蔑しているのだ。そのプレスター・ジョン・ホリデイ自身は、同性愛者などの性的マイノリティーに対する軽蔑や差別意識を隠さない。しかし、どれだけ彼が暴言失言を連発しても、支持者たちは、彼の男ぶりに心酔して許す。

 アンチホリデイ派は、そんな親ホリデイ派に対してますます軽蔑する。暗に、現在のアヴァロン連邦の大統領も彼を嫌っているのだ。


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「ねぇ、アスターティ」

 鮮やかな赤毛の少女がアスターティに話しかける。 

 ルシール・ランスロット。アスターティより一学年下の、日本人の祖先の血を引く女生徒である。二人は、校内の軽音楽部に所属していた。

「帰りにあそこのカフェに寄ろうよ。もうすぐ、フォースティンも来るから」 

 フォースティン・ゲイナーという女の子は美術部員で、ルシールの幼なじみである。彼女もアスターティより一学年下のクラスの娘で、アスターティと似たようなプラチナブロンドの髪のかわいい女の子である。そして、ルシールはスッキリと整った顔立ちだ。

 ちなみに、フォースタス・チャオの姉の名前もルシールというが、彼女は「ルー」という愛称で呼ばれている。ルーは産婦人科医であり、母ミサトと共にアガルタの一員である。

 アスターティは、あまり友人が多くない。その才色兼備ぶりから高嶺の花扱いされ、敬遠されているのだ。彼女は自分の素材の良さを鼻にかけたりはしないが、それでも、ただ単に「存在する」だけで、十分他人に嫉妬心や劣等感を抱かせるのだ。  そんな微妙な立場の彼女にとっては、ルシールとフォースティンはかけがえのない友人である。 

「遅くなってごめんね」

 フォースティンが来た。いかにも人が良さそうな内気な少女。アスターティとルシールは彼女と合流し、オープンカフェに行った。


 ルシールとフォースティンは「マッチョマン」プレスター・ジョン・ホリデイについて話している。彼女たちもアスターティも、あのマッチョイズムの男を嫌っているが、世間には彼の男らしい魅力のルックスに惹かれる女性たちもいる。しかし、十代の少女たちはこの中年男性有名人に対して容赦ない。

「あのホリデイって人、またヒドい事言っていたよね」 

「『女性は産む機械』だなんて、バールの人工子宮じゃあるまいし」

「私、ああいう唯物論者気取りの物言いって嫌いよ。もちろん、女を馬鹿にするのも許せない」

「それにしても、人工子宮だなんて、女をなめてるよね!」

 人工子宮。アスターティはその言葉を聞き、冷や汗をかく。自分は他ならぬ人工子宮から生まれたバールなのだ。しかし、ルシールもフォースティンも自分の正体を知らない。

 アスターティは二人をかけがえのない友人だと思っている。しかし、それでも自分の正体を知られる訳にはいかない。 

 ガラスの壁。彼女たちには分からないそれが、自分と彼女たちを隔てているのだ。

「どうしたの、アスターティ?」 

「ううん、何でもない」


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 マークは一人、相変わらずゲームセンターで、ヴァーチャル格闘ゲーム機のカプセルの中で暴れまわっていた。

 いつもの憤りのグレードアップ。一部のメディアで、自分の両親とフォースタス・チャオの醜聞が取り上げられている。

 フォースタスとライラの不倫。そして、アーサーとフォースタスの同性愛不倫疑惑。実に不愉快だった。

「チクショウ! チクショウ!」

 呪われた双剣の騎士ベイリンは、次々と襲いかかる敵どもを蹴散らす。

「なめとんのか、てめぇ!!」 

 マークは、実際に両親とフォースタスの「現場」を見ていない。しかし、フォースタスが帰ってからの母のアトリエ兼寝室からは、どことなく淫靡な匂いが感じられた。

 そして、そんな二人の関係を黙認する父。腐ってる。 

 何よりも、フォースタス。あの男こそが忌々しい。

「クソどもが!」


「人気作家師弟と美人妻の泥沼三角関係!」

「弟子の元恋人を奪う師匠」

「ある文士たちの悲劇」 

 メディア上を流れる扇情的な見出しのニュース。大物作家アーサー・ユエとその妻ライラ・ハッチェンスと、若手作家フォースタス・チャオの不倫三角関係…フォースタスの元恋人も含めれば四角関係は、様々なメディアで大々的に報道されている。

 普通、小説家のスキャンダルは警察沙汰にでもならない限りは、芸能人のゴシップほどには話題にならない。しかし、フォースタス・チャオはテレビ出演などによって、単なる作家以上の人気や知名度がある。本人に自覚はないが、彼は中途半端な芸能人以上に華があるのだ。ましてや、彼は邯鄲ホールディングス会長と〈アガルタ〉の女性科学者の息子という「サラブレッド」なのだ。

 元々そんな彼に嫉妬する者は少なくない。しかし、自己評価がさほど高くない彼自身は、それを意識しない。

 三文ゴシップレストランの最新メニュー、フォースタス・チャオの鴨鍋。それまで眉目秀麗の若手実力派男性作家としてもてはやされていた彼は、すっかり評判を落としていた。もちろん、彼の師であるアーサー・ユエも同様だ。

 文壇でも、二人を冷めた目で見つめる者は少なくない。むしろ、それまでの彼らの評判が良過ぎたのだ。


 ミック…マイケル・クリシュナ・ランバートは、フォースタス・チャオの友人であり、ほぼ同時期にデビューした「現役大学生」同業者である。彼は友人のスキャンダルに心を痛めている。

「あいつ、いい奴だけど、こんなスキャンダルのせいですっかり評判が落ちたな」

 ミックはフォースタスを見捨てるつもりはない。しかし、電話をかけて励ましの言葉を送ろうか迷い、結局は静観している。

「今のあいつに何か言えるのはランスだけかもしれないが、ランスは怒るとおっかない奴だからな」 

 ミックはタブレット端末の電源を切り、キッチンに向かう。お湯を沸かし、マグカップにレモンティーのカプセルを入れ、お湯を注ぐ。そして、マグカップを手にしてリビングに戻り、ソファに腰掛ける。 

 素朴な作りのクッキーをつまみ、ひとかじり。普段はその素朴な味わいに安心するが、ミックは友人の状況への心配のせいで、気分がどんよりとしている。


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「あの坊主 ラッド 、アートの女房とそういう関係なのか」 

 フォースタス・マツナガは、自分と同名のむフォースタス・チャオを「坊主 lad」と呼ぶ。アガルタの自分の部屋にいる彼は、タブレット端末で様々なゴシップを漁っていたが、心臓に剛毛の生えている彼も、さすがに問題のスキャンダルには呆れた。

「こりゃ、あの がかわいそうだな」 

 ドクター・マツナガはため息をついた。 「坊主」フォースタスだけではない。「坊主」の師匠であるアーサー・ユエ自身も、外で女を作っているのだ。しかも、相手は「坊主」の元恋人だ。

 フォースタス・マツナガは時々、アガルタの外でつかの間の恋を楽しむが、彼は自らに掟を課している。

 未成年者は相手にしない。バールたちにも手を出さない。

 自分が「種なし」でも、性病予防のために避妊具は欠かせない。ましてや、その辺りが疑わしい女には手を出さない。

 特定のパートナーがいる女にも手を出さない。執着心が強過ぎる女にも手を出さない。

 そして、前述の条件を受け入れない女は相手にしない。

 「やれやれ、どうしようもないな」


 アスターティ・フォーチュン。彼女は当然、自分の婚約者にして初恋相手である男のスキャンダルが不愉快だった。もうすぐ自分の誕生日なのに、お祝いされてもちっとも嬉しくないだろう。

 彼女は友人たちと遊ばず、学校からまっすぐ家に戻り、自分の部屋に閉じこもった。

「フォースタス! どうして、どうしてなの!?」

 アスターティは布団に潜り込んで号泣した。自分は前々からフォースタスに避けられていたが、こんな形で裏切られるのは本当に悔しかった。

 まだまだ子供として相手にされず、他の女に持っていかれるのは初めてではない。しかし、よりによって人妻との関係、恩師の妻相手の略奪愛だなんて、許せなかった。


「あの馬鹿野郎…」

 ランスロット・ファルケンバーグは呆れた。

 自分の幼なじみのスキャンダル。しかも、共に幼い頃から世話になっている恩師の妻との不倫関係。フォースタス・チャオのスキャンダルは、世間で話題になっていた。

 フォースタスが作家としてデビューしたのはまだ大学時代、20歳の若さだった。邯鄲ホールディングス会長の息子で、大御所作家ケイトリン・オコナーの孫という話題性もあったが、何よりも、才色兼備の青年作家としてもてはやされていた。

 ランスにとっては、フォースタスは弟のような存在だった。少年時代には、数学が不得意な彼のために家庭教師役を買って出た。義理堅いお節介焼きのランスにとって、フォースタスは出来が悪いがかわいい弟みたいな存在だ。

 そのフォースタスのスキャンダルだ。潔癖で正義感の強い性格のランスは、それに激怒した。

「畜生、しばいたろか!?」

 彼は、携帯電話を手にした。

【The Beatles - Helter Skelter】