D.G.ロセッティの「なめとんのかおんどりゃ!?」伝説

Dante Gabriel Rossetti "Beata Beatrix" 1864–70
Dante Gabriel Rossetti "Beata Beatrix" 1864–70
 いわゆる「ラファエル前派」と呼ばれる画家集団には、色々な問題児がいた。その中で特に札付きの問題児と言えるのが、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティだろう。何しろ、自分のサークル仲間のウィリアム・モリス(ラファエル前派としては比較的マトモだった人)の妻ジェーンと不倫関係になった上に、自身の妻リジーを自殺同然に死なせてしまったクソ野郎なのだ。もう一人の愛人ファニー・コーンフォースも、このクソ野郎の被害者である。
 私は日本画家の上村松園を尊敬しているが、このクソ野郎ロセッティなんぞ全く尊敬なんぞしとらん。絵は素晴らしいが、とんでもないダメンズである。そんなクソ野郎の画学生時代のふざけたエピソードがある。

 ロセッティ青年は、ある日、学校を休んだ。翌日、ある教師に「なぜ休んだ?」と訊かれたが、このクソガキは実に人を食った返事をした。
「いやあ~、僕、『なまくら病』の発作が起こったんスよ(笑)」
 そして、先生が背を向けると、ロセッティはポケットから紙の束を取り出し、クラスメイトたちに配った。このクソガキは前日、家で自作詩を紙切れに書いていたのだ。

 やれやれ。その後のロセッティ画伯のクソ野郎伝説について書く気力がないや。それはさておき、誰かが「芸能界とは一般人として生きていけない人間の受け皿だ」と言っていたけど、それは芸能界以外にも言えると思う。まさしく「芸は身を助ける」だ。文学であれ、美術であれ、その世界における表現者たちの中には、一般人社会で生きていくには何かが過剰で何かが足りない人たちが少なからずいるようだ。
 あるブロガーさんは、「ある種の天才は自分の人格が自分の才能の奴隷になってしまっている」という記事を書いていたが、ロセッティもその類の人物だったのは間違いないだろう。そんな「人間のクズ」が生み出した傑作の一つが、自身の妻をモデルにして、自身の名前の由来であるダンテ・アリギエーリの『神曲』のヒロインであるベアトリーチェを描いた『ベアタ・ベアトリクス』だ。
 さらに、ある作家は「漢の三傑」の一人淮陰侯韓信を「戦争芸術家」と評したが、なるほど、これは良くも悪くも韓信という人物にふさわしい。軍事の才能は一流だが、それ以外ではロセッティと同様に人間的な弱さをさらけ出す。ただでさえ、「天才」と呼ばれる人間は人間的な欠陥が目立つ人が少なくないのだ(だからこそ、楽毅のように「人格者」と「天才」を兼ねた人は貴重なのだ)。永野護氏風に表現するなら「ピーキーな性能」である。
 そんな「芸術家」たちと比べると、「普通の人」は突出した何かを持たない代わりに精神的に安定している場合が多い。ただし、今の日本ではその「普通の人」たちも精神的に病んでいる場合が少なくないが、たいていの「普通の人」は非凡な才能を持たない代償として、一般人社会で生きていくための要領の良さを持っているのだ。

【Cocteau Twins - Beatrix】