美しき黄金の島、大いなる黄金の大航海 ―宇月原晴明『安徳天皇漂海記』―

 私は近所の本屋で宮城谷昌光氏の『諸葛亮』上下巻を購入し、読み始めた。しかし、私は序盤の時点でこれを読むのをやめた。なぜなら、宮城谷氏の作風は「美し過ぎてかえって不快」だからである。まるで、良く出来た彫像のようであり、生身の人間のような魅力は感じられない。確かに宮城谷氏の作風は「美しい」。しかし、それは決して私自身が求める「美しさ」ではない。もっと色鮮やかで躍動感や生命力のある「美しさ」を、私は望む。そう、私が求める「美しさ」は他にあるのだ。

 宇月原晴明氏の歴史ファンタジー小説『安徳天皇漂海記』は、第19回山本周五郎賞を受賞し、第135回直木三十五賞候補となった。この小説は、前半は鎌倉幕府三代目将軍源実朝を中心にした第一部・日本編「東海漂泊」、後半はヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロを中心にした第二部・世界編「南海流離」である。そして、この二部構成の物語のキーパーソンこそが、タイトル通りの幼帝・安徳天皇である。この「黄金の童神」こそが、南海の鮮やかな黄金色の楽園へと我々を導くのだ。

 そう、宇月原氏の作品の、極彩色で躍動感や生命力が感じられる「美しさ」こそが、私自身が求める「美しさ」なのだ。それは宇月原氏のデビュー作『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』からしてそうだった。私が描きたい鮮やかな世界観こそが、そこにはあった。


 頼朝の息子実朝は、自分たちとは敵対した血統の少年天子に対して共感する。そして、あえて「春秋の筆法」的な表現をするならば、草薙の剣が実朝を斬り殺した。『ファイブスター物語』で言えば、ビルドが「バランシェ・ファティマのパルテノに右手足をもぎ取られた」ような事態である。

 宇月原晴明氏の小説はあまりにも鮮やかで絢爛豪華な色彩を感じさせる作風だが、この小説のテーマカラーはズバリ、黄金である。それは平家の軍旗としての紅と、人々の血の色としての赤、「緋水晶に似た透きとおった炎」が差し色となるが、この小説の展開は黄金の大航海である。

 第一部日本編と第二部世界編の対比は、ゲーテの『ファウスト』第一部と第二部の対比を連想させる。それぞれの第一部は箱庭であり、第二部は箱庭の外である。それに対して、三国志やアーサー王伝説は全体的に箱庭である。そして、箱庭の中の幼帝は語り手と実朝に、夢を通じて語りかける。「我がつわものとなれ」。安徳帝もアーサー王も「箱庭の王」だが、ファウスト博士は自らの「箱庭」から出る。それに対して、テニスンのシャロットの女は「箱庭」から出ると死んでしまう。

 この『安徳天皇漂海記』のもう一人のキーパーソンとして、戦国の果心居士のごとき怪人物〈天竺の冠者〉こと天竺丸なる人物がいる。語り手や読者は、彼を通じてもう一組の三種の神器を知る。壇ノ浦に沈んだ天子を守る衣真床追衾 まとこおうふすまは、巨大な琥珀の珠である。さらに塩乾珠 しおひるたま塩盈珠 しおみつたまがある。この一対の宝珠から、私は連想する。「金烏」日輪を表す前者は「孟夏の太陽」のごときオルフェーヴルであり、「玉兎」月輪を表す後者は「海上に浮かぶ満月」のごときゴールドシップである。これら二つの宝珠は、これから描かれる黄金の大航海を暗示する。


 この小説における実朝が残した『金槐和歌集』とは、安徳帝を供養するために編纂された歌集だった。その安徳帝と実朝の悲劇が語られる途中で、いにしえの廃太子高丘親王の名前が出てくる。高丘親王は海を渡り、天竺を目指したが、その最期は不明である。実朝はその物語や〈天竺の冠者〉らに感化されて大海を渡ろうとするが、挫折し、朝廷の陰謀により、甥公暁 くぎょうに暗殺されてしまう。

 高丘親王が眠る島は、中国大陸の広州よりはるか南海にある島だという。おそらくは、桐野夏生氏の『東京島』から遠からぬところだろう。〈天竺の冠者〉一行は、実朝の首を抱えて眠る安徳帝を守る琥珀の卵と共に大海へ旅立つ。語り手は安徳帝から二つの珠を託されたが、彼は塩乾珠の神通力で元帝国の水軍を退け、塩盈珠が残った。そんな彼を密かに狙う者たちがいたが、彼らは何者かにことごとく始末されていた。


 話は第二部に移る。宋人たちは第一部の語り手である日本の老隠者の庵を出て、博多湾を見つめる。舞台は1277年、元の大都 ダイドゥに滞在する若き「巡遣使」マルコ・ポーロがこの第二部の主人公である。そして、彼に第一部の語り手の話を伝える宋人の海商鄭文海 てい ぶんかいがいた。マルコは元の皇帝クビライ・カーンの目や耳であり、文海はマルコの目や耳である。

 この第二部では、世界帝国の宝を集めた極彩色の物語が展開される。マルコが皇帝に伝えるのは、極東の「詩人王」実朝と琥珀に封じられた眠れる「少年天子」安徳帝の物語である。宮廷に招かれた老琵琶法師の弾き語りによって幼い安徳帝の最期を知り、クビライは衝撃を受ける。彼はかつて、その光を放つ玉に封じられた子の夢を見たのだ。

「黄金とは、実際の金を意味するばかりではない。黄金とは、何よりもわれらの夢そのものである」


《Stay Gold》


 クビライはマルコに広州行きを命じた。 その広州湾に浮かぶ崖山島に、宋人たちの亡命政権があった。その南宋帝国最終皇帝趙昺 ちょう へいを護る者たちがいた。その趙昺は海辺に浮かぶ〈うつろ船〉を見つける。二人の少年皇帝たちの出合い。筆談で鬼才詩人李賀の詩を引用する安徳帝。宋の忠臣文天祥についての言及。夢の世界で、琥珀化した実朝の首を自らの髪と共に埋葬する安徳帝。紫苑の花を供える宋王朝の女官たち。文天祥に次ぐ忠臣、陸秀夫と張世傑。

 少年皇帝の命で何かを製作するガラス職人たち。一事が万事。マルコは少年皇帝にかつての宋の都について語るが、その話においては桐野夏生氏の『東京島』と同じく「食」が文明の象徴として語られる。平和だった頃の宋王朝の思い出に対して、宋人たちも私自身も涙を流す。

 マルコは夢の中で、少年皇帝趙昺と共に宋の都の運河を流れる〈うつろ船〉を追う。そして、マルコはいつの間にか彼自身の故郷ヴェネツィアにいた。さらに、黄金の島ジパングの幻を見た。そして、ついに問題のガラスの器が出来上がる。それは、少年皇帝の「柩」であった。マルコは皇帝に、自ら製作したガラスの小鳥を捧げる。琥珀と翡翠、二つの柩は海に沈み、宋王朝は名実共に滅びた。田横の食客たちのように、皆いなくなった。その後残ったのは、文天祥の白鳥の歌 スワン・ソング『正気の歌』である。


 元の都に帰還したマルコ・ポーロは、皇帝クビライ・カーンに宋王朝の最後を報告する。

「陛下。巡遣使として、どうか再び崖山へおもむくことをお許しください」

「必ず大都に還ってくるように。たとえいかなる不可思議なるものをその目で見、その耳で聞いたとしても、魂を盗られてはならぬ。人はどんなに天に魅せられようとも、どこまでも地に留まって生きねばならない」

 マルコは再び、鄭文海と共に崖山島を訪れる。彼らは現地で情報収集をしていたが、そこで問題の琥珀色の巨大な卵を見つけた。南宋帝国の金細工師 オルフェーヴルたちが作り上げた黄金の輪で結び付けられた二つの玉。第一部の〈天竺の冠者〉の縁者、天竺丸とその一行がマルコらの前に現れる。そして、一対の玉の一方である翡翠色の器の中で息絶えた南宋帝国最終皇帝趙昺がいた。マルコ、鄭文海、天竺丸一行は彼を弔い、翡翠色の柩は再び海に沈められた。

「帆を上げろ! かつて先代が目指した南海の彼方、高丘親王さまのおわしますところだ」

 マルコと鄭文海は天竺丸一行と共に、南海を目指す。常夏の大海原、星座は移り変わり、極彩色の魚たちが釣れるようになった。先代天竺丸の船は広州湾で沈み、脱出した当時の船員たちは安徳帝を救助出来ず、数十年経った。彼らの身の上話を聞いたマルコと鄭文海は、もう一人の皇帝の結末を見届ける覚悟を決める。彼らの船は珊瑚礁の島にたどり着き、琥珀色の卵を島内に運ぶ。そこには黄金に輝く蜜の湖があった。そして、そこに鎮座する蜜と化した隠者、高丘親王がマルコらを…いや、安徳帝を待っていた。

 いにしえの廃太子水蛭子 ひるこは南海の島に流れ着き、天に向かい、海に向かい、自らの苦悩からの解放を願い、祈り続けた。彼はやがて島と同化し、甘露醍醐の湖と化した。そして、安徳帝を守っていたものは彼の分身だった。安徳帝と高丘親王は水蛭子の極楽浄土の島と一体化し、黄金の光と波の饗宴の中、彼らの長き旅は終わる。金の滴降る降るまわりに。

 圧倒的な開放感、祇園精舎の挽歌。ひとえに風の前の塵に同じ。マルコ・ポーロの黄金の大航海は終わった。


 宇月原晴明氏の作風は、好き嫌いがかなり分かれてしまうものである。『読書メーター』にも、否定的な感想がちらほらあった。しかし、ハマる人は思いっきりハマってしまう極彩色の魅力がある。そして、私が描きたい鮮やかな黄金色の世界観こそが、この小説にはあるのだ。

【Dalbello - All That I Want】