The Natural Women ―桐野夏生『東京島』―

 世の中には「サークルクラッシャー」なる概念がある。主に男性が多数派の集団における唯一もしくは少数派の立場にある女性が「男性ホモソーシャル」の結束力を弱める事態だが、この性別逆転版、すなわち唯一もしくは少数派の男性が「女性ホモソーシャル」の結束力を弱める事態は、前者と比べると目立たない。むしろ、某「ハーレムおじさん」の「妻たち」のように、女同士で団結する可能性が高い。

 桐野夏生氏の小説『東京島』(新潮文庫)は、第二次世界大戦後間もない時期にあった「アナタハン事件」を現代に翻案した話である。主人公清子は、男女比が均等な環境であれば、むしろ男性にモテなさそうな小太り中年女性だが、男性ばかりの中にいる唯一の「女性」として、島内で「大地母神」のように君臨する。それに対して、島の男たちの一人ワタナベはキリスト教の悪魔を連想させる人物である。「唯一女神」清子はくじ引きによって、夫を取っ替え引っ替えする。彼女がある程度の人生経験を積み重ねている既婚中年女性であればこそ、島の男性たちを手球に取れる。これが乙女ゲームのヒロインのような世間知らずの「小娘」であれば、清子のようにはうまく立ち回れないだろう。

 同じく桐野氏の小説である『グロテスク』を「百合」という創作ジャンルのパロディーだとするならば、『東京島』は「乙女ゲーム」並びに「ティーンズラブ」というジャンルのパロディーだと、私は思う。そして、『グロテスク』には〈ユリコ〉という名の(元)絶世の美女が登場するが、凡百の作家であれば、このユリコのような美女キャラクターを清子のライバルとして物語に割り込ませるだろう。しかし、桐野氏はあえて、ユリコのような女性の「敵」キャラクターを導入しなかった。


《島でたった一人の女は、島で一番の年寄りでもあった》


 バビロニアの男神マルドゥークは、「太母」女神ティアマットを弑逆して神々の王となった。そして、清子のそばに「マルドゥーク」はいた。これは多分、酒見賢一氏の短編小説『童貞』の主人公〈シャのシィのユウ〉の生まれ変わりだ。少なくとも、冲方丁氏の代表作『マルドゥック・スクランブル』の〈シェル〉のもう一つの可能性だ。ユウやシェルは若い女(テュシャンの娘とバロット)を支配したが、「その男」は大地母神キヨコと対を成す「男神」である。

 第1章・第2話「男神誕生」には「卵」並びに「幼鳥」というキーワードが出てくるが、私はこれらに対して『マルドゥック・スクランブル』の面影を感じる。バロットは卵から生まれた幼鳥だったが、清子は初老の成鳥である。

 その男〈ユタカ〉こと森軍司 もり ぐんじは、清子の新たな夫として彼女を島の「女王」に擁立する。軍司は彼女を通じて他の男たちを支配するが、彼はシャのシィのユウをはるかに上回る狡猾さを持つ男である。さらにもう一人の「男神」である人物、清子の最初の夫だった隆が生前に自らが残した航海日誌を通じて、島の「悪魔」ワタナベを操るようになる。「男神」たちは「悪魔」を通じて「女神」に復讐するのだ。

《自分を損なう者、仲間外れにする者はすべて嫌い》

 もし仮に登場人物の性別が逆だったら、私はワタナベに対して一番共感出来るかもしれない。いや、性別逆転という仕掛け抜きでも、私にとってワタナベは感情移入しやすい人物である。同性である清子よりも、異性であるワタナベの方が、私にとっては感情移入しやすい人物である。


 島の男たちに対する神通力が弱まった清子は、自分という「女」を差し置いて結ばれた何組かのゲイカップルの存在を知り、愕然とする。軍司は新たな「男神」として、清子の立場を脅かす。文明社会の飲食物の思い出を抱く住民たち。商品化された「飲食物」は文明を象徴する。清子に残された切り札は、自らの胎内にいる赤ん坊だった。

 ワタナベは偶然、ある船の乗組員たちに救助され、島から脱出し、物語の表舞台から姿を消す。


《母性愛もまた、文明のもたらすものなのだと思う》


 孤独な「大地母神」清子の目の前に、救いの女神たちが現れた。彼女たちは『グロテスク』の女性キャラクターたちのアンチテーゼである。フィリピンから流れ着いた女神/歌姫 ディーヴァたちのリーダーの名前はマリアであり、アジアのいくつかの国々を旅するコーラスグループを率いている。マリアは『グロテスク』の女性キャラクターたちより親切な女性だが、彼女は徐々に清子に代わって島の新たな「女王」になっていく。身重の清子は彼女たちに頼るしかない。

 そして、清子は破水し、マリアら「女神たち」の手助けによって男女の双子を出産する。ABBAのヒット曲『Chiquitita』(スペイン語で「小さな子」)にちなんで、姉は「チキ」、弟は「チータ」と名付けられる。さらに、清子はマリアのリーダーとしての辣腕ぶりに閉口する。そう、マリアは最終的にこの島の新たな「女王」となるのだ。


 最後に私は思う。『グロテスク』のメインヒロイン(?)である〈わたし〉の妹ユリコに対する憎しみ・嫉妬心・劣等感の正体は、自分の妹に対するレズビアン的かつ近親相姦的な欲望だった。それゆえに、清子の子供たちはいずれは再会するだろう。「男と女」として。

【Aretha Franklin - (You Make Me Feel Like) A Natural Woman】