フォースタスのキッチン

「久しぶりのアガルタだな」 

 山々が並ぶ風景。車を走らせている途中でフォースタスが言う。私たちはアガルタに向かっている。 

 アガルタ特別区はアヴァロンシティの奥地にある。そこは研究者たちと退役軍人たちとバールたちの街だ。区全体は、一見他の地区と大差ない都会だが、学術都市としての色合いが濃い。

「さあ、現代のエデンの園だぞ」 

 私たちは、アガルタの中心部である研究所に入った。そして、マツナガ博士の部屋に行ってケーキを渡してきたが、博士はいかにも嬉しそうだった。博士はアガルタのバールにして研究者の一人という立場から、表向きには行動に制限があるという事になっているけど、実際にはあちこちに出かけており、意外な人脈があったりする。


「二人とも何の異常もないわね。健康優良児!」  ミサト母さんが言う。

「ちゃんと避妊しているようね。まだ大学を卒業していないのに、妊娠しちゃうとまずいし、マスコミが何だかんだ言うからね」 

 フォースタスも私も、顔を赤らめる。ミサト母さんはくすくす笑う。 

「まあ、私も新しい孫の顔を早く見たいけどね。ルーもケイティもそろそろね…」 

「ルーとケイティがどうしたの?」 

 ルー…ルシール・チャオ博士はミサト母さんの実の娘で、フォースタスのお姉さん。ケイティ…マーシャ・カトリーナ・ウキタ博士は、この研究所の所長マーシャ・ロザリー・ウキタ博士の実の娘だ。二人はここで勤務する医師だが、なぜミサト母さんはあの二人の名前を出すのか? 

 「〈アガルタ・ソロモン・プロジェクト〉を担うのは、あなたたちだけではないの。他にもいっぱいいるのよ。あの子、ネミもそうだけど、性嫌悪傾向がある無性愛者だから、普通のやり方で子供を作るのは難しいわね」 

 ネミ?  一体どういう事だろう? 

「あの子もここに来ているのよ。会ってみる?」


 私たちは所内のカフェに入った。そこに彼女はいた。 

「元気?」 

「ネミ! なぜ、あなたがここにいるの?」

「ミサト博士から話を聞いたでしょ。私もあなたと同じバールなのよ」

「え!?」 

 私もフォースタスも驚いた。さらに、彼女は驚くべき事を口にする。

「アスターティ。あなた、ミヨンさんのところのミナとブライアンのお父さんが誰か知らないでしょ? あの二人、ミヨンさんがここで人工授精で産んだ子供なの。私もいずれ、同じ方法で赤ちゃんを産むつもりよ」 

 私は言葉が出なかった。フォースタスも絶句している。

「ミヨンさん自身は天然の人間だから、バールの精子を使ったけど、私はバールだから天然の人間の精子を使うの。ソロモン・プロジェクトって、人間とバールを一つにする計画だからね」 

 私は凍りついた。ネミが自分と同じバールだというのも衝撃だけど、私たちが関わる計画が大規模だというのにも衝撃を受けていた。 

 ネミは私たちに背を向け、窓の外を見上げる。彼女は手をかざし、ゆっくりと持ち上げる。その手のひらの上に光の玉が現れる。 

「私たちバールが差別されるのは、単に人造人間だからというだけではない。普通の人間にはない力があるからなの。それに対して人間が選ぶのは、徹底的に排除するか、それとも融合の道を選ぶかなの。ここアガルタは、平和な方の道を選ぶのよ」 

 ネミの手のひらの上で瞬く光の玉は消えた。


 バール(baal)。その呼び名は、元々は旧約聖書に描かれる古代中東多神教の神々に由来する。なぜ私たち人造人間にその名称が使われるようになったのかは、詳しい事は分からない。バールたちの起源は、地球人たちの宇宙進出だ。かつての地球にいたデザイナーベビーの発展形が、私たちバールなのだ。

 バールたちは軍事利用された。普通の人間以上の身体能力だけでなく、いわゆる超能力もある。精神力で光や電気や熱などを操る。私たちバールは、その能力ゆえに普通の人間たちに恐れられた。

 バールたちは、マインドコントロールを受けて人間たちに操られ、惑星アヴァロンの地球連邦からの独立戦争で酷使されていたが、やがて一部の人権団体からの異議により、少なからぬバールたちはマインドコントロールから解放され、天然の人間同様に人権を認められるようになった。しかし、いまだにバールたちに対して差別意識や偏見を抱く者たちは多い。

〈アガルタ・ソロモン・プロジェクト〉とは、人間たちがたどり着いた一つの回答だった。弾圧ではなく融合。本来は人間の亜種であるバールたちを再び「人」に戻すため、アガルタは平和的な道を選ぶ。

 そんなアガルタの計画の一番の障害となるのは、カルト集団〈ジ・オ〉だ。彼らはかつての地球にあった一神教原理主義を元にした「伝統的な価値観」の復権を目指している。女性の権利と自由の制限、白人至上主義、性的マイノリティーと障害者の排除、そして、私たちバールの排除だ。

 その〈ジ・オ〉の政治部門である極右政党〈神の塔〉は、かつての地球のナチスみたいに、露骨に障害者の排除を求めている。さらに、同性婚やベーシックインカムなどの廃止を求めている。今は医療技術の発達のおかげで、生身と変わらぬ義眼や義肢などがあるが、〈ジ・オ〉の者たちは「純血」主義だ。私たちバールは彼らにとっては「悪魔」そのものだ。かつての地球の一神教から見た「異教の偶像」を表す名称からして、まさしくそうだ。

 ロクシー…ロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンドは、〈ジ・オ〉並びに〈神の塔〉の幹部たちの愛人、いや「高級娼婦」だと言われている。彼女はさらに、政界や財界の有力者たちの愛人を務めているという。私が彼女に対して感じていたきな臭さとは、彼女自身の性格だけの問題ではなかったのだ。

 ネミはロクシーと同じ事務所に所属していたが、ロクシーのような枕営業は強制されていなかったという。あの事務所にも良心的な人物はいるのだ。そのネミは、あの事務所から独立した。


「そう、あの子に会ったのね」

 ミヨンママは言う。ママはアガルタでネミが話した事を認める。 

「ミナもブライアンも、アガルタで人工授精をして産んだ子よ。あの子たちの父親はバールなの。でも、マツナガ博士ではないわ。あの人、昔のバールと同じく無精子症だから」 

「昔の? 今は違うって事?」 

「あなたやネミに妊娠能力が与えられたように、男性型バールにも天然の人間みたいに精子を持つ人たちがいるのよ。バールって、元々人間の亜種だし、犬と狼みたいなものね」 

 ミヨンママはさらに言う。人間とバールたちの融合は密かに着々と進んでいる。

「それに、アガルタの官製バールだけではないわ。民間企業が生み出すバールたちもね」


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「よう、久しぶりだな」

「ドクター! それにゴールディにアスタロス!」 

 イチョウ並木が美しい秋。私たちの家に来客がいる。マツナガ博士とゴールディ、そして、私の弟アスタロスだ。 

「ほら、ケーキを買ってきたぞ。どれか好きなのを選べ。あ、メフィスト。お前にも犬用のケーキを持ってきたぞ」 

「ありがとうございます!」 

「いただきまーす!」 

 私たちはケーキをもらって喜ぶ。マツナガ博士は、そんな私たちを見て微笑んでいる。温かい微笑み。 

 ゴールディとアスタロスに会うのは久しぶりだ。フォースタスは言う。 

「ドクター、夕ご飯の用意をしますけど、ガンボはどうです?」

「おお、ぜひとも食べてみたいな。いただこう」

 フォースタスはキッチンに向かう。ガンボはかつての地球のアメリカ南部の郷土料理だったが、フォースタスの幅広い料理のレパートリーにそれはある。 

 出来上がったチキンガンボを食べる。オクラが入っていて、とろみがあり、味わい深い。マツナガ博士がご飯のおかわりをするくらい、フォースタスが作るこのアメリカ南部風のシチューはおいしいのだ。

「ところで、ドクター。今日は何か用ですか?」

 フォースタスは博士に訊く。

「いや、特別な用はない。ただ、お前らの顔が見たかっただけだ。ゴールディもアスタロスも、こうして外出する機会はなかなかないからな。少しくらい楽しんでもいいだろ?」 

 博士は渋い微笑みを浮かべる。


 私たちはサードアルバムのレコーディングをしている。今回は、フォースタスがバックヴォーカルとして参加している。サードアルバムのタイトル『Queen of Heaven』はこの人のアイディアだ。そして、この中の一曲「Dance of Eternity」はフォースタスと私のデュエット曲であり、共同作業で作詞をした。そう、この曲は舞台版『ファウストの聖杯』のエンディングテーマ曲のリメイクなのだ。

坊主 ラッド 、なかなかいいじゃないか」 

 博士は、私たちのデモ音源を聴いて微笑む。ゴールディもアスタロスも、私たちの楽曲を気に入ってくれたようだ。これらの楽曲が収録される『Queen of Heaven』の発売予定日は来年、すなわちアヴァロン連邦暦350年の7月7日、つまりは私の20歳の誕生日だ。そして、来年の秋には建国350年記念式典がある。

 その式典で、何組かのミュージシャンたちのコンサートが開かれるが、私もそれに出演するのが決まった。しかし、気がかりな事がある。

 あのロクシーも出演決定したというのだ。


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「今年の桜もきれいね」 

 年が明け、また、桜吹雪の季節が来た。アヴァロン連邦暦350年の、アヴァロンシティの春だ。きらめく陽気の中、私たちはセントラルパークを散歩している。フォースタスと私だけではない。メフィストも一緒だ。フォースタスはリードを握っているが、そのリードにつながれているメフィストは普通のミニチュアブルテリアにしか見えない。

「この絶妙な薄いピンクがいいのよ」 

 私はカメラのシャッターをバシバシ切っている。来年もまた、同じように桜の写真を撮るだろう。そんな私にフォースタスが声をかける。

「今年は建国350年記念式典があるんだな。それでお前は記念コンサートに出るんだな」 

 そう、問題のコンサートだ。

「緊張するわ」 

「そこで新曲を るんだな?」 

「うん、私自身も気に入ってる」 

 フォースタスは話題を変える。 

「スコットからまた話があったんだ。今度は『Blasted』を舞台化したいって」 「『Blasted』…シャン・ヤンさんの名前の由来になった人が主役の小説ね?」 

『Blasted』、サブタイトルは「わざわいをはかるもの」。フォースタスが言うには、このタイトルはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を意識して名付けたという。この小説は、自らが作り上げたものに滅ぼされた男の物語だ。その主人公、商鞅 しょう おう もまた、ファウスト的なヒーローなのだ。

 桜吹雪の中で、フォースタスは言う。

「アスターティ。お前が大学を卒業したら、結婚しよう」

 私は目を大きく見開いた。鼓動が強まる。

「フォースタス…!」 

「お互いに頑張らないとな。俺も頑張る。これからもよろしくな」

 フォースタスは顔を赤らめる。私も頬が熱くなり、涙がこぼれる。 

「ありがとう、フォースタス」 

 桜色の洪水の中、私たちは周りの様子を忘れて、抱き合ってキスをした。涙の塩味を含んでも、なお甘い。フォースタスは私の唇から離れる。 

「そろそろ帰るか?」 

「ええ。一通り満足出来る写真は撮れたし、行きましょ」 

続き ・・ は家に帰ってからな」 

 メフィストは私たちをからかった。フォースタスも私も、さらに顔を赤らめる。 

 私たちは駐車場に行き、車に乗り込んだ。 


「俺たちはみんな、幸せになるために生まれて生きているんだ」 

 車を走らせながら、フォースタスは言う。

「この現代の〈ビッグ・アップル〉アヴァロンシティで、みんなが。不幸になるために生まれてきた奴なんかいない。運の良し悪しがあっても、幸せになる権利はみんな一緒だ」 

「人間だけでなく、バールも?」

「ああ、もちろんさ!」 

 最近のフォースタスは、どことなくアガルタのマツナガ博士に似ている。以前のような微妙な弱気さは影を潜め、博士のような陽気な自信が感じられる。今のこの人には、大人の男としての余裕が出てきたのかもしれない。そんな私の考えを読んだのか、この人は言う。

「俺はドクターと比べりゃ、まだまだひよっ子、坊主 ラッド さ。でも、いつかはあの人みたいな大人の男になりたいと思っている」 

「あなたは十分頼もしい」 

 フォースタスは頬を赤らめる。 「あ、ありがとう。でも、まだまだ修行が足りないよ」 

 私たちはショッピングモールに車を走らせる。そして、一通りの食材を買い出す。今日の夕食は二人で一緒に作る。餃子の具を一緒に皮で包むのだ。 


「ああ、揚げ餃子もいいな」

「揚げ餃子?」 

「モッツァレラチーズを包んで揚げて、トマトソースをつけて食べるんだ」 

「このオクラと山芋と海藻のネバネバサラダは?」 

「このドレッシングがいいだろ」

「このトンブリって『畑のキャビア』と呼ばれているけど、プチプチした食感が面白いね」 

「俺、本物のキャビアよりこっちがいいな」 

 私たちが夕食を作っている間、メフィストはテレビのスポーツチャンネルを観ている。あの子がひいきしているサッカーチームのニュースの音声が聴こえる。メフィストが叫ぶ。

「おお、やるじゃん!」 

 そのチームの今シーズンの成績は良さそうだった。 

 フォースタスは言う。

「まあ、な。アスターティ。俺たち、すでに夫婦みたいなもんだよな」

 その笑顔には、マツナガ博士に似た余裕がある。 

「新婚旅行に行くなら、どこ行く?」 

「…ソーニアにはあまり行きたくない」

「確かに、あいつらのイメージが強いからな」

「あいつら」。そう、確かにソーニア州は〈ジ・オ〉や「失言マッチョマン」プレスター・ジョン・ホリデイ州知事のイメージが強い。バール殺害事件が相次ぐ地域だ。 

「まあ、別に無理して遠くに行く必要もないかな。キャムラン湖の父さんの別荘でゆっくり過ごしてもいいんじゃないか?」

「そうね」 

「鮭のチャンチャン焼きとか、ジンギスカンとか焼いて食ってさ。俺たちとメフィストと、のんびり過ごそう」

 私は、フォースタスが食べ物の話をするのを聞くのが好きだ。この人のそんな話を聞くだけで、私は幸せな気持ちになれる。料理上手のこの人は、色々なものを食べるのが大好きだ。

 この幸せがいつまでも続きますように。フォースタスも言うように、私たちは幸せになるためにこの世に生まれてきたのだから。

【BONNIE PINK - Heaven's Kitchen】