リカちゃんは何を見ているのか?

 リカちゃんとは、日本を代表する着せ替え人形である。何しろ、お人形について全く知らない人が、リカちゃんとは全く違うタイプの着せ替え人形をも「リカちゃん」と一括にするくらいだ。韓国のドールカスタマイズ作家ATOMARU氏の着せ替え人形「ドランドラン」も、日本の100円ショップダイソーの着せ替え人形「エリーちゃん」も、「リカちゃん」扱い。要するに、ちょっと前の一部中高年者が家庭用ゲーム機を全て「ファミコン」と呼んでいたようなものである。 


 1967年に生まれた初代リカちゃんは、漫画家の牧美也子氏が顔のデザインを手がけたものである。当時の少女漫画のヒロインみたいな顔立ちだが、皮肉な事に、現在流通している4代目リカちゃんの目の描き方が一番昔の少女漫画に近いものである。牧氏のデザインによる初代リカちゃんの目の描き込みは、案外シンプルなものだ。

 リカちゃんは、バービーとは色々な面で対照的な立ち位置の人形だ。バービーが十代後半から二十代の「自立した」女性のイメージで作られているのに対して、リカちゃんは両親や祖父母に守られて幸せな子供時代を満喫する女子小学生だ。バービーが少女たちの「理想の未来」を表すのに対して、リカちゃんは「理想の今」を表すのだろう。バービーが少女たちの「早く大人になりたい」という願望を引き出すのに対して、リカちゃんは幸せな家庭の下での「安定」を表している。リカちゃんとは、儒教文化圏の「家族の秩序」と母系社会的な「包容力」が混ぜ合わさった「ぬくもり」の中で生きている永遠の少女なのだ。 


 さて、前述の通り、リカちゃんの目は昔の少女漫画のようなキラキラした目で描かれている。そして、瞳が正面を向かずに流し目になっている。バービーのように写実的な目の描き方ではない。少女漫画的な目を持つのは、元々「和製バービー」として発売されたジェニーも同じだが、ジェニーの目はリカちゃんとは違って真っすぐ向いているし、フレンドドールたちの中には、ある程度写実的な目の描き方の者もいる(代表例がシオンだが、彼女は主に大人の人形ファンに支持されているようだ)。実際の少女漫画の絵柄は昔とはずいぶんと変わっているのに、なぜ、リカちゃんとジェニーの目は昔の少女漫画のようなのか? 

 おそらく日本の小さな女の子たちにとっては、バービーのように写実的な目の描き方(さらには顔立ち)はおっかないのだろう。ただでさえ、日本人形などのリアリティのある造形の人形は人を怖がらせる。あまりにも写実的だとおっかないのだ(どこかで聞いた話だが、前近代の中国美術が長い間写実主義を避けていたのは、写実的な造形である秦の兵馬俑が秦の圧政を連想させたからだという)。リカちゃんの目が表すものはYahoo!知恵袋のこの回答がヒントになるだろう。華やかさのある大きさがありつつ、それでいてリアルで生々しい視線を感じにくい目として、昔の日本の少女漫画や着せ替え人形がデザインされたのだ。

【Vanessa Paradis - Be My Baby】

 リカちゃんにふさわしい曲はあるかどうか、ない知恵絞って思いついた選曲。ウィキペディアの「ヴァネッサ・パラディ」のページには「あまりに蠱惑的なために女性やメディアからの激しいバッシングを受けた(時には直接通りすがりの女性たちから暴行を受けることもあった)」とあるけど、その記述が事実ならば、やはり「フェミニズム」や「フェミニスト」には大なり小なり建前主義的な面があると考えるべきだろう。

 私はフェミニストを自認・自称しているけど、自分自身の心理も含めた「女心」は、決してフェミニズム的な建前主義だけでは割り切れないという事実を否定すべきではないだろう。インターネット上では、自分よりも恵まれた同性に対する嫉妬深さや劣等感をこじらせたまま「フェミニスト」になった女性は少なからずいるように思えるね。もちろん、私自身もその一人だ。

 ただ、天皇制などの君主制並びに世襲制に対する廃止論を「嫉妬」から切り離すのは、多分、フェミニズムを「ミサンドリー」から切り離すよりもずっと難しいだろう。キリスト教の「七つの大罪」の中に「嫉妬」の項目があるのは、おそらくは一般庶民の権力者に対する反抗を封じ込めるためという意味合いもあっただろう。さらに話をずらすが、日本における「残り物には福がある」という概念は、おそらくは男性たちが「女子供」に残飯処理をさせるためにでっち上げた迷信だった可能性が考えられる。