黄金の悪魔と人間たち ―馳星周『黄金旅程』―

 馳星周氏といえば、昔はいわゆる「ノワール小説」を書いていた。確か昔、某雑誌でオウム真理教事件を題材にした小説の連載があったのだけど、当時は題材にふさわしくインド的な題名がついていた。しかし、後になぜか『煉獄の使徒』などというキリスト教的な印象の題名で単行本化(文庫化)されていた。その『煉獄の使徒』を改めて読もうかどうか、私は迷う。

 馳氏は2020年に発表した『少年と犬』で直木賞を受賞したが、この辺りから「馳文学の新境地」という路線変更をしたようだ。私は昔、本屋で宮城谷昌光氏の某小説の本を見かけた際に「宮城谷文学の新境地」という触れ込みを見て「言うほど新境地なのか?」と疑問を抱いた。新境地ってさあ、『マルドゥック・スクランブル』の冲方丁氏にとっての『天地明察』だとか、当記事で取り上げる馳星周氏の『黄金旅程』くらいにジャンルや作風が思いっきり変わっていなければ言えないのではないかい? まあ、宮城谷さんはすでに良くも悪くも「完成している」から仕方ないね。


 私は90年代に、旧コーエー出版部が発行していた読者投稿雑誌『光栄ゲームパラダイス』(略称はゲーパラ)を愛読していた。ゲーム会社としてのコーエーの代表作の一つに競馬ゲーム『ウイニングポスト』シリーズ(略称はウイポ)があるが、そのウイポ並びに現実世界の競馬のファンたちを対象にした読者投稿コーナーがあった。それで私は、当時人気だった名馬たちの名前を知った。さらに、私の異父弟などの身内らが競馬好きになって『ダービースタリオン』(略称はダビスタ)で遊んでおり、家にはよしだみほ氏の実在競走馬擬人化漫画『馬なり1ハロン劇場 シアター 』の単行本が何冊かあった。もちろん、オグリキャップのぬいぐるみもいた。しかし、その時点では私自身は競馬に対して特別興味を持たなかった。

 それから21世紀を迎え、私は一人暮らしを始めてから20年以上たち、ゲームアプリ『ウマ娘』の存在を知り、プレイしてハマった。それ以前の段階として、我が最愛の漫画『ファイブスター物語』(以下、FSS)だけ ・・が目当てで購入しているアニメ雑誌ニュータイプにあった記事を通じて、テレビアニメ版『ウマ娘』の存在を知ってはいたが、当時の私の食指は1ミリとも動かなかった。なぜなら、今の私にとっては、今時のアニメはわざわざ嫌いになるほどの興味すらないものだからである。

 とはいえ、私はAbemaTVでテレビアニメ版『ウマ娘』第3期を観て感動したのだが、今時の若いアニメファンの人たちはアニメに対する目が肥えまくっているようなので、残念ながら否定的な意見もあるのだ。団塊ジュニアおばちゃんの私にとっては十分面白かったのだけどね。


 馳星周氏の小説『黄金旅程』(集英社)は、私にとっての「空白期間」、すなわち「ゲーパラ」から『ウマ娘』までの間の時期に活躍した実在の競走馬ステイゴールドをモデルにした話である。ただし、物語そのものの時代設定は、意図的に実際のステイゴールドの活躍時期からずらしており、史実における後輩ディープインパクトや、ステイゴールド自身の息子ゴールドシップに相当する架空の馬たちは、ステイゴールドをモデルにした名馬にして悍馬〈エゴンウレア〉の「先輩」という設定になっている。ちなみに、『ウマ娘』の世界で擬人化されているウイニングチケットは実名で出てくるが、あくまでも名前だけが一度出てくるだけであり、さらには日本競馬界を代表する騎手である武豊氏の実名が出てくるのも一度だけだが、史実における武氏に相当する役割を果たす人物は、あくまでも武氏をモデルにした架空の騎手である。

 主人公である男性平野敬 ひらの けい は、元々は幼馴染で親友の和泉亮介 いずみ りょうすけ と共に騎手を目指していたが、プロの騎手になれたのは亮介だけであり、敬自身は装蹄師になった。敬は装蹄師の仕事を続けながら、亮介の両親から牧場を受け継ぎ、それを新たに引退した元競走馬・元繁殖馬を養う養老牧場として経営している。そこに、一時期は大スター騎手になりながらも、覚醒剤に手を出した事によって競馬界から追放された亮介が刑務所から出所して敬と再会するのだが、ここでキーパーソンならぬ「キーホース」として出てくるのが、ステイゴールドをモデルにした架空の名馬エゴンウレアである。

 エゴンウレアという名前は「Stay Gold」をバスク語に翻訳した名前であるが、実馬と同じくスティーヴィー・ワンダーの曲『Stay Gold』に由来するものである。しかし、体格こそはステイゴールドと同じく小柄ではあるが、その毛色は史実のステイゴールドの息子オルフェーヴルを連想させる尾花栗毛である(ただし、オルフェーヴル自身は一応は普通の栗毛だ)。とりあえず、エゴンウレアは純粋にステイゴールド「だけ」をモデルにした存在ではないだろう。何しろ、2018年9月6日に起こった北海道胆振東部地震に相当する大地震が物語内部で起こるので、ステイゴールドどころかオルフェーヴルすら引退した後の時代設定なのは明らかだ。しかも、最終的には「コントレイル以降」の時代設定なのだ。


 馬の中でも特にサラブレッドとは、人間によって「作られた」存在である。そして、彼らを活かし続けるためには、競馬産業を存続させていくしかない。それはFSSにおける人造人間〈ファティマ〉たちの存在意義に近い。ファティマたちは戦闘用ロボットのコントロールのために作られた人工生命体だが、それゆえに、戦争がない世の中では居場所を得られない。FSSのジョーカー太陽星団において「反戦運動」が描かれないのは、神や宗教が信じられていないジョーカー星団における「君主制」の存在意義と同様に「タブー」の一つだろう(政教分離ならば、特定の宗教と結びつく君主制は必要ない)。

 FSSのファティマたちは、最終的には、主人公アマテラスのミカドと共にジョーカー星団から出ていくほんの一握りのファティマたち以外は、ほぼ全滅してしまう。それは、物語の中でヒロイン級の立場を得ているファティマの一人であるアトロポスの願いによるものである。大掛かりな戦争がなくなった世界においては、「兵器」であるファティマたちの居場所はない。そういえば、ある人がこう言っていた。「オリンピックとは人間たちの世界大戦に対する欲望の代替品である」もしくは「スポーツとは人間の戦争に対する欲望の代替品である」と。なるほど、「漫画の神様」手塚治虫氏がスポ根漫画を嫌っていた理由の一つとして、スポ根漫画の「精神」が軍国主義的な価値観につながるものだったからという話があるのだ。


 話を『黄金旅程』に戻す。平野敬は馬たちのために「緑の星フォーチュン」としての養老牧場を立ち上げた。その希望の星から続く黄金の旅路から、夢はさらに続いていくのだ。

【Stevie Wonder - Stay Gold】