もう一つの『オペレーション・マインドクライム』、そして漂白された世界 ―伊藤計劃『虐殺器官』『ハーモニー』―

 アメリカのヘヴィメタルバンド、クイーンズライクの傑作アルバム『オペレーション・マインドクライム』(以下、OM)は、現代のアメリカのテロリストたちを描く物語を音楽という形にしたものである。いわゆるロックオペラだが、私はこの名盤を聴くたびに、良質なSF小説を読んでいるかのような満足感がある。そのような良質なSF小説の一つが、今は亡き伊藤計劃 いとう けいかく 氏のデビュー作『虐殺器官』(ハヤカワ文庫)である。

 OMは前世紀(80年代、1988年)に発表された作品だが、あの ・・ 9.11同時多発テロを予告するかのような物語だった。それに対して、『虐殺器官』は9.11以降の世界を描く。

 

 近未来のアメリカ軍のエリート将校、クラヴィス・シェパードは、世界各地のテロリズムを扇動していると疑われている謎の男「ジョン・ポール」の暗殺という任務を負っている。このジョン・ポールという、いかにも仮名的・匿名的な名前を持つ敵は、その名前の「仮名的・匿名的」な印象から、OMのテロリストたちの首魁「ドクターX」を連想させる。クラヴィスの任務は、どうやら映画『地獄の黙示録』が元ネタのようだが、アメリカ政府は、自国が生み出した21世紀のカーツ大佐の抹殺を軍に命じる。

 伊藤悠氏の歴史漫画『シュトヘル』は、言葉を表す手段の一つである「文字」がテーマである。文字や音声などで表される「言葉」とは、誰かを癒やす薬にもなれば、逆に誰かを害する毒や武器にもなり得る(OMには「Speak」というタイトルの楽曲がある)。『虐殺器官』の魔王ジョン・ポールは、言語という武器を世界各地で売りさばく「死の商人」だ。そして、クラヴィスは言語というある意味最強の魔法であるものによって迷宮をさまよう。

 そう、言葉は魔法だ。ジョン・ポールは言語という最強の魔法によって、人々の中にある「虐殺器官」を目覚めさせ、活性化させる。読者はジョン・ポールの目的を知り、愕然とするが、クラヴィスはさらにそれを裏返す。その選択に対して義憤や不快感を抱く人は少なからずいるだろう。まさしく、正義の反対は悪ではなく、もう一つの正義だ。 

 

 私が思うに、夭折の天才伊藤計劃氏は『オペレーション・マインドクライム』という稀代の名盤の小説化に最もふさわしい作家だった。OMの世界を小説という別の形に再生させるにふさわしい天才だった。しかし、その夢はもうかなわない。

 そして伊藤氏の「スワン・ソング」、すなわち遺作である『ハーモニー』(ハヤカワ文庫)は、デビュー作『虐殺器官』の間接的な続編である。舞台は21世紀後半、前作に描かれた出来事が発端の「大災禍(The Maelstrom)」を境に一変した世界であり、「生命主義(lifism)」によって人々が支配されている。ほとんどの病気が駆逐され、何の不自由もない世界で、それでもなお世間に対して不満を抱く少女たちがいた。 

 主人公、霧慧 きりえ トァンは、世間の価値観に反抗心を抱く少女たちの心中事件の生き残りである。成長したトァンは世界保健機構の役人になったが、世間の「良識」に反して、密かに酒やタバコをたしなんでいた。そんな彼女は日本に帰国して、もう一人の生き残りである親友の一人零下堂 れいかどう キアンと再会し、共に食事をするが、テーブルについたキアンはトァンの目の前で自殺してしまう。

「ごめんね、ミァハ」 

 全世界で同時に自殺事件が発生し、トァンは事件の背後に、すでに死んだはずの女、すなわち、もう一人の親友だった御冷 みひえ ミァハの影を見出す。


 前作『虐殺器官』では知識人ジョン・ポールが物語の「魔王」だったが、『ハーモニー』では鋭い知性を持つ少女御冷ミァハがその役割を負っている。トァンとキアンは、独自の哲学と理念を持つミァハに魅了される。この三人の密接な共犯関係は、他の何者も寄せ付けない。

 そのかつての親友ミァハを追い、トァンは奔走する。実は生きていたミァハは何を企んでいるのか? かつてのジョン・ポールの再来のような不気味なカリスマは、トァンの訪れを待っていた。


 ユートピアとディストピアは紙一重というのは、まさしくこの小説に当てはまる。イメージカラーは白、どこまでも続く白の空間だ。物語は清らかに終わっていくが、それは限りなく天国に近い地獄だ。そこには「個人の意志」はない。何だか、ゲームの『女神転生』シリーズの「LAW」ルートのようだ。「意識のない(のに生きている)人間」というのは、『ファイブスター物語』のアマテラスのミカドが元々「感情を持たない存在」とされるのを連想させる。しかし、よくよく考えてみると、我々「普通の人間」の感情も人為的というか、後天的なものも少なからずあると思うのね。


 ちなみに、ヒロイントリオの名前はケルト神話(厳密に言えばアイルランド神話)の登場人物に由来する。しかし、いずれも本来は男性名だった。なして?  実は伊藤氏は、最初は登場人物の性別を決めていなかったと、解説にはあった。なるほど、道理でストーリーや登場人物から性的な匂いが漂ってこない訳だ。ヒロインが妙齢の女性(しかも、非不美人、すなわち、ある程度の美人)なのに、しかも酒やタバコをたしなんでいたのに、なぜか「男」の匂いがないのは不思議だったが、この小説の世界では、人々の「性」もキチンと管理されているのだろう。 

 そういえば、この小説の世界における障害者や性的マイノリティーの立場が気になるけど、我が最愛の漫画『ファイブスター物語』だってそうだな。ダイアモンド博士以外にも「中性」の人が少なからずいてもおかしくないのに。


 いや、トァンさんは単に色事に対して無関心だったのかもしれないですね。

【Queensrÿche - The Mission】

 ラスボスの悪役らしさを想像させるような、インパクトのあるマークだなぁ。