趙氏孤児 ―趙高―

 大叔父上、子鳳 しほう 大叔父上。もうお別れです。  私の仕事はこれで終わり、もう思い残す事はありません。

 私があなたの兄上である安陽君(趙章)の孫だと名乗った時は、あなたは信じてくださらなかった。それはそうでしょう。仮にも趙の王族の血を引く者が秦に仕える宦官だなんて、信じられない。しかも、あなたが慕っていた兄君の孫だなんて、悪夢でしかない。

 そう、悪夢。私はあなたとは別のやり方で、秦に対する「悪夢」となった。かつての晋に対する悪夢、傾国の美女驪姫 りき のように。


 驪姫…彼女が私たちの悪夢の始まりならば、別の誰かが悪夢を終わらせる必要がある。だけど、それからまた別の悪夢が始まる。

 かの商君(商鞅)も言っていたでしょう? 「古き秩序は新しき秩序に取って代わられる」と。 

 その「新しき秩序」を始めようとする者たちのために、私はこれから殺されます。

 秦王は反乱軍への手土産として、私の首を手に入れようとしています。仮病を使って、寝室で私を待ち構えておりますが、どうせ今さら怖がっても無意味ですよ。

 まだ春を思う前の幼き頃に、処刑された母親の罪に連座して生命の芽を摘み取られた時点で、私は死んだようなものですから。

 私のおぼろげな記憶では、母は驪姫にも負けないほどの美女でしたが、どんな才子佳人とて、死からは逃れられません。ましてや、あの意固地な皇帝とて例外ではない。あなたがあの男をうまく追い詰めてくださったおかげで、私も仕事をやりやすかったですよ。感謝しています。


 さて、これから秦王のところに参りましょう。痛いのは、ほんのわずかな時間だけ。あとは何もない静けさがあるでしょう。

 これから私は「歴史上まれに見る逆臣」という汚名を被りますが、私の「死者」に対する考え方は、伍子胥ではなく蘇秦にならうものです。つまりは、死者の「知覚」など信じてはおりません。

 さようなら。大叔父上と張子房殿のご健闘をお祈りいたします。今まで本当にありがとうございました。

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