夢の神はアイディアの種をばらまきながら、走り去る。我々はその種をつかむ必要がある。それは、チャンスの女神の前髪と同じだ。
今朝もまた、夢の神は種をばらまいて走り去った。だめだ。今日も種を拾いそこねた。いや、一旦は拾っても、現世に持ち帰り損ねたのだ。
やはり、地道に本でも読んで勉強するしかないのか? 何か音楽を聴きながら。
私は今夜も眠る。夢の神様を待ちながら。
夢の世界は、その中にいる限りは「リアル」そのものだ。当然、その場では夢の中だと認識出来ない。あくまでも、その場では現実世界そのものだと思っている。
辺り一帯、夢の神がばらまいたアイディアの種だらけ。しかし、夢の中の私自身は気づかない。現世に戻れるまでそれらを覚えていられるか、完全に意識がクリアになっても覚えていられるか? 運が良ければ、夢の世界からアイディアの種を現世に持ち帰る事が出来る。
私はそれを元手に小説を一つ書けた。『恋愛栽培』、それは夢の神様からの贈り物だった。
しかし、私は今夜もアイディアの種を逃すだろう。つかんだつもりが、こぼしてしまう。夢の世界から現世に意識が戻るたびに、それらはこぼれ去る。やがては、「何かがあった」という記憶の抜け殻すらなくなるのだ。
夜ふかしこそが私の性には合う。規則正しい早寝早起きは、優等生キャラとはほど遠い私には合わない。夢の神は、そう簡単には私を連れ出さない。FMラジオを聴きながら、私は睡魔を待ち続けるが、夢の神の使いである睡魔は、私を連れ出さない。
時間の割には、あまりにも意識が冴え過ぎている。下手をすると、また徹夜だ。
睡眠薬を飲んでいるし、カフェインが入った飲み物は飲んでいないのに、何だか昼間以上の昼間だ。昼夜逆転生活。優等生的な演技をするのを嫌う私といえども、さすがに忌々しい。
それにしても、日本語の「神」という単語は便利だ。なぜなら、それは英語の「god」とは違って、男神と女神双方を意味するからだ。
私の夢の神様が男神なのか、女神なのかは分からない。多分、どちらでもあり、どちらでもない。夢の中なら、どんな姿にでもなれるだろうし、そもそも私は、夢の神様の姿を見たことがない。だけど、いる。私が眠って夢を見る限りは。 多分、夢の神様は夢の世界そのものなのだ。そして、夢から覚めてから戻される現実世界そのものも「神」なのだ。
夢の神様からの最初の贈り物。それは、荘子の「胡蝶の夢」に似た夢だった。幼い私は夢の中で死に、大好きだった祖父にまで見捨てられ、自分自身の葬式の様子をながめていた。私の魂は、かつて祖父と住んでいた家の隣りにある空き地の上を飛んでいた。春の暖かさの中、蝶になったかのような魂は、孤独に漂っていた。
もしかすると、あの夢はいわゆる予知夢だったのかもしれない。私は家族親戚とは絶縁している。それでも、衆人環視の中で残忍極まりない方法で公開処刑されるくらいならば、自分の家で孤独死する方がはるかにマシだ。
私は今夜も夢の神様を待つ。仮に私に守り神がいるなら、夢の神様こそがそれだろう。私は夢の神様の「氏子」だ。その神様を祀る神社は、私の脳内にある。
【大黒摩季 - 胡蝶の夢】