また、嫌な夢を見た。
私は寮の自室で目覚めた。午前2時。我が姉ドリームジャーニーは、向かいのベッドで熟睡している。寝相が良く、安らかな寝顔だ。
《オルフェ、目を大きく閉じて》
鶴の恩返しか、それとも青髭か?
「また泣きながら眠っていたんだ、私」
私はフェイスタオルで両眼の周りを拭く。このタオルの用意は、今の私自身にとっては毎晩の習慣になっている。
明智紫苑。私自身の脳内にしか存在しない、虚無の女。この世の全てのウマ娘たちを憎む者。
私が今まで見た一連の夢は、実に狂気じみた設定や内容のものだ。
《オルフェ。私は影でいくらでも大きくなってみせるから、あなたはどんどん光の世界で小さくなって消えてしまいなさい。なぜなら、あなたは私がなりたかった女そのものなのだから》
明日からは新学期。以前のトレーナーが退職したので、私たちは新たなトレーナーが引き継いだチームで引き続き活動する。私たちは明日の朝礼で、新たなトレーナーと出会うだろう。
私はまた、自称「臣下」たちのために「金色の暴君」オルフェーヴルの仮面をかぶる。それが厭わしい。私は本来の 私自身 でありたいのに、学園の空気がそれを許せない。三冠ウマ娘になんて、ならなければ良かった。しかし、そんな事は口が裂けても言えないし、ウマッターなどのSNSでも書けない。ましてや、私のSNSアカウントはあくまでも「ただの一般人」になりすました閲覧専用のものなのだ。
我がメフィストフェレス。私にとっては悪夢の女王なのに、会いたい。仮にあなたがこの世に実在してくれるのならば、会いたい。私はあなたの手料理を食べたい。一緒にピエール・エルメの〈イスパハン〉を食べたいのだ。たとえそれらが「ヨモツヘグイ」であろうとも。
亢龍悔いあり。
昇り詰めた龍には後悔がある。もうそれ以上昇る事は出来ず、あとはただ、落ちていくだけ。三国志もアーサー王伝説も、そのような話だった。もちろん、あのファウスト博士の伝説もだ。
私はすでに頂点にまで昇り詰めたのだろうか?
「皆様、はじめまして。明智紫苑と申します」
間違いない。あの 女 だ。 私の 紫苑はやはり、この世に存在したのだ。しかも、私たちのチームの新たな監督だ。しかし、彼女は私の夢の中とは違い、私とは初対面だった。
私は改めて「金色の暴君」オルフェーヴルとして、彼女に対して横柄に接する。しかし、紫苑は嫌味なくらいに、冷静沈着かつ柔らかに私に接する。
メンバーは現時点では5名。ダートのカシンフォースタス、マイルのヒナアスターティ、短距離のバールヤムナハル、そして、私の姉ドリームジャーニーと私自身、すなわちオルフェーヴルだ。
姉は紫苑の真面目で誠実な人柄をほめている。しかし、私は彼女が以前のような裏切り者ではないかと不信感を覚えていた。
「紫苑。貴様は相変わらず訳が分からない物言いをする。もっと要領を得た言い方をしろ。余は気分が悪い」
「ああ、気分が悪いんだね。ジャーニー、オルフェを保健室に連れて行って」
「おい!」
私は姉に強引に引っ張り出されて、部室を出ていき、保健室に連れて行かれた。明智紫苑、健全な鈍感さを装う悪女。あまりにも不愉快過ぎる。
しかし、行き過ぎた憎しみはかえって恋愛感情に似ている。
ああ、またしてもだ。私は仮病を強いられるどころか、実際に気分が悪くなってしまった。間違いない。私たちは何度もこうして出会っている。
「オルフェ、具合はどう?」
「貴様はそんなに余を病ませたいのか?」
「君主制や世襲制というものに対して疑問がある私にとっては、あなたの物言いが病気かな? あのデュランダルという子は、 名君 のあなたが監督のチームにいるのが似合いそうだけどね」
「ふん、人面獣心の女め」
「ありがとう」
「は? あからさまな罵倒に対して、なぜ『ありがとう』なんだ?」
「だって、人間の顔に獣の 身 で人面 獣身 でしょ? 着ぐるみみたいにかわいいって意味でしょ? そう言うあなたもかわいいね」
「無知蒙昧の輩め」
「ふふ、面白いね。あなたの語彙力。私は呉下の阿蒙だよ」
紫苑は幼子をあやすように笑う。
「あなたが本当に体調が悪いなら、焼肉パーティーは延期ね」
「焼肉パーティー?」
「ひょっとして、具合が良くなった?」
「良くない!」
結局、私は寮の自室に戻り、姉が作ってくれた卵粥を食べた。
「オル、残念だったね」
「姉上、あの女は疫病神だ」
「そんな事を言うのはやめなさい」
粥を食べ終えた私は、姉が淹れてくれたカモミールティーを飲む。そういえば、私が以前見た夢で紫苑と一緒に〈イスパハン〉を食べた際も、紫苑は私の好物であるカモミールティーを淹れてくれた。
「姉上、椎名林檎のCDを聴きたい」
「椎名林檎? 『三文ゴシップ』か? それとも『三毒史』かい?」
「そうだ、『三毒史』だ」
姉はCDプレイヤーで椎名林檎の『三毒史』を流し始めた。鶏と豚と牛。いや、『鶏と蛇と豚』だ。私はその曲のタイトルから、ある女性ミュージシャンを思い出した。
ファインモーションと同じアイルランド出身の女性ミュージシャン、シネイド・オコナーのデビューアルバム『The Lion and the Cobra』の題名は、聖書における悪魔の 隠喩 に由来するらしい。それに対して、椎名林檎の曲『鶏と蛇と豚』という題名は仏教における煩悩を象徴する動物たちらしい。そして、私に「ヨモツヘグイ」を喰らわす明智紫苑は、いわば「闇のトヨウケ」だ。
テレビの生放送でローマ教皇の写真を破ったシネイド・オコナー。私よりも彼女の方が暴君めいていた。
シネイド・オコナーも、ニナ・ハーゲンも、『Rock Me Amadeus』のファルコも、私は夢の中の明智紫苑から教えてもらった。日本人ミュージシャンだと、吉田美奈子がそうだった。
私が始皇帝のような「暴君」なら、あの女は徐福や趙高だ。この世に「 宿命の女 」なる者が実在するなら、あの女こそがそうだろう。
《オルフェ、目を大きく閉じて》
「北海道のジンギスカンはね、もやしは一人につき一袋は必要ね」
「もやし?」
「ピーマンほど癖はないし、肉だけだと味気ないよ」
「ふん、どこかの先輩三冠ウマ娘殿がどう思うかだな」
私たち〈チーム・アヴァロン〉は、府中市内の焼肉屋でパーティーを開いている。私も紫苑も、ジンジャーエールを飲んでいるが、カシンはコーラ、ヒナは烏龍茶、ヤムナハルはオレンジジュースを飲んでいる。我が姉ドリームジャーニーは、ミネラルウォーターを飲んでいる。
紫苑は豚トロと塩ホルモンを追加注文した。彼女は普段は倹約家だが、今日のような行事のためにそうしているのだ。このチームが大所帯ではないのは、彼女の経済事情にとっては幸いだ。
今回 の明智紫苑という女の「キャラクター設定」はまだ分からない。ましてや、私たち一族の「禁断の秘密」とやらも暴かれていない。ましてや、私が尊敬している先輩ウマ娘は、現時点では幸せな結婚生活を送っているようだ。
「さて、もうお開きね」
私たちはトレセン学園の学生寮に戻り、紫苑はトレーナー寮に戻った。私たちは歯を磨き、風呂に入り、それぞれの部屋に戻った。
「私の名ならば〈暴君〉、それ以上でも以下でもない」
ああ、私は今夜も支離滅裂な夢を見るのだろう。エアシャカールの口癖は「ロジカルじゃねぇ」だが、あいつはどんな夢を見るのだろうか? あの女ならば、それらを単なる記憶の焼き直しとしか思わないだろうし、「ロジカルじゃねぇ」の一言で切り捨てるだろう。
男もヒトミミもウマ娘も、生きているだけで「非合理」そのものなのに。
【Dalbello - Falling Down】