目を大きく閉じて ―from『ウマ娘 プリティーダービー』―4.Blasted

「姉のレアは優しい目をしていたが、妹のラケルは顔も美しかった」

「趙飛燕はそよ風に吹き飛ばされそうな細身の美女だったが、妹の趙合徳はより男受けが良い豊満な美女だった」

「イワナガヒメは絶世の醜女であり、夫に離縁されたが、妹のコノハナサクヤヒメは絶世の美女であり、妊娠によって不義を疑われ、腹の子と共に夫に火あぶりの刑に処された」

 美しい妹たちと、そうでもない姉たちの話。我が姉ドリームジャーニーは、小学生並みの小柄な体格だが、美しい女だ。仮に彼女が私と同じくらいの身長であれば、私よりもよほど男たちを惹きつけるだろう。

 桐野夏生の小説『グロテスク』で語り手となる女〈わたし〉には、類まれな美貌の妹ユリコがいた。〈わたし〉は幼い頃から美しい妹に対して根深い嫉妬心や劣等感を抱き続け、ユリコは内心、そんな凡庸な卑怯者の姉を見下していた。

 一見〈わたし〉とは対照的な我が姉ドリームジャーニー。彼女は私をかけがえのない家族として愛してくれるが、本当はこの〈わたし〉のような悪意を私に対して抱いているのではないのか? 

「オル、面白そうな本を読んでいるね」

 私は寒気がした。他ならぬ私の姉が声をかけてきた。よりによって、こんな泥沼姉妹の話を読んでいる時に。

「桐野夏生? あの『東京島』の作者か。あの小説は面白かったね。戦後間もない時期にあったアナタハン事件を現代に翻案した内容だ」

「アナタハン事件? 『アナタハンの女王』というのは私も聞いた事があるぞ」

「ああ、無人島に流れ着いた人間たちの一妻多夫の結果、何人も死んでいったんだ。問題の女性はウマ娘ではなく、普通の女性だったそうだけど」

 一妻多夫。私は数年前に亡くなったあの先輩を思い出した。さらには、メジロ家やシンボリ家などの「上級国民」ウマ娘たちにまつわる怪しげな噂もだ。実質的に家父長制ではなく家母長制の一族ならば、何人もの「 種牡人 たねうま 」を囲っていてもおかしくない。それもまた、家父長制に苦しめられる 普通の女 ヒトミミ たちが我々ウマ娘たちを憎む理由の一つだ。

「オル。私は今のお前が読んでいる小説をまだ読んでいないんだ。お前が読み終えた後で貸してくれるかい?」

 私は言葉に詰まり、黙ってうなづいた。


 ヒトミミがウマ娘を産み、あるいはウマ娘がヒトミミを産んだため、結果的に「毒親」と「毒子」の関係性が生まれる。そうだ。以前、紫苑が私に貸してくれた永野護の漫画『ファイブスター物語』に登場する〈騎士〉や〈ファティマ〉たちとは、私たちウマ娘と似たような存在だ。この漫画に出てくるヨーン・バインツェルという騎士の両親は確か、騎士の能力を持たない一般庶民だった。

 もし仮に「いじめ」の被害者が必ず「弱者」であるならば、「弱い者いじめ」という言葉は「頭の頭痛が痛い」みたいな表現になってしまう。実際には「強い者いじめ」も稀にあるからこそ、「弱い者いじめ」という言葉があるのだ。現に、インターネットという文明の利器によって、一般人たちが有名人たちを追い詰めて自殺に追い込むのは珍しくない。ましてや、一般人同士の関係性は基本的に呉越の戦いなのだ。

 ウマ娘から生まれた 一般女性 ヒトミミ 明智紫苑とは、一般人の両親から生まれたヨーン・バインツェルとは逆のようでむしろ似通った立場なのだ。ヨーンが自分の初恋相手を奪った男への復讐心に、いや、自分を捨てた女への復讐心に燃えたように、あの女は私たちウマ娘たちへの憎悪をたぎらせている。


 西晋の宣帝司馬懿のように、敵に対して容赦しない女、明智紫苑。内は忌にして外は寛、猜疑して権変多し。


 私は他に誰もいない教室にいた。私の机の上には、白いものが破り捨てられ、乱暴に投げ捨てられていた。白い百合、カサブランカの花が無惨にちぎり捨てられ、ばら撒かれていた。そして、本のページが何枚かばら撒かれていた。

 私は紙片の一枚を手にし、内容を確かめる。桐野夏生の小説『グロテスク』の〈わたし〉の妹ユリコが登場する場面だった。

 カサブランカの芳香の中に、別の薫りが微かに混じっている。重厚でスモーキーな香りは、他に思い当たる者はいない。

「姉上…お姉ちゃん…!」

 私の視界は白く染まり、赤く染まり、そして黒く染まった。


 私たち〈チーム・アヴァロン〉の部室に、姉と紫苑がいる。彼女たちは緊迫した空気の中、何やら物騒な会話をしている。

「ジャーニー、あなたの目の前にいる コバエ ・・・ を片付けなさい」

「はて…? コバエなど飛んでいませんよ」

「あなたの 目の前 ・・・ にいるでしょ?」

「え…?」

「あなたほどの怜悧な知能の持ち主なら、完全犯罪など簡単でしょ? あなたが大嫌いな コバエ ・・・ 一匹ごとき、さっさと片付けるのは容易いでしょう」

 姉は顔面蒼白だ。紫苑は口元に冷笑を浮かべる。

「それとも、あなたの 美しい ・・・ 妹君に私を 粛清 ・・ させる? さぞかし見ものだろうね?」

 姉は紫苑の挑発に対してうろたえる。許せない。

「トレーナーさん、一体どうされたのですか? 私が信じていたトレーナーさんとは別人のようです!」

「これが本当の私だよ。あなたは冷徹な割には情にほだされやすい。私にとっては、そんなあなたの性格や言動が心底から大嫌いなんだよ」

「そんな…!」

 姉の両眼から涙が溢れ出す。

「さあ、 りなさい。私の 首級 しるし を全人類への反逆の 狼煙 のろし にするがいいよ」

 姉は紫苑に抱きつく。

「トレーナーさん! お願いします! どうか正気を取り戻してください! 何でもしますから!」

「何でもする?」

「はい!」

「だったら、私を殺して。私はもう、あなたたちウマ娘とは関わりたくないの」

「トレーナーさん、そんなに私たちウマ娘が憎いのですか?」

「当然だよ。なぜなら、私は『女』だからね」

 紫苑は私の姉を突き放し、部室を出ていった。姉はその場に座り込み、泣きじゃくっている。

「姉上、あなたの思い違いだったな」

 ああ、お姉ちゃん。私も冷酷非情な女だよ。こんな追い打ちをするなんて。


 私は泣きじゃくる姉を放っておいて、校舎の屋上に上がった。明智紫苑が、いた。

「貴様。余の…いや、私の姉に対して何をした?」

 紫苑は、以前とは全く別人のような嘲笑を私に向けて、挑発する。

「オルフェーヴル 大帝陛下 ・・・・ 、どうか私めに死を賜りたい」

「なぜだ?」

「あなたたちウマ娘たちの顔に泥を塗るためよ」

 私は紫苑の背信に憤る。

「貴様、見どころがある奴かと思ったら、そのような愚か者だったとは、見損なったぞ!」

「愚か者? どうせなら『邪悪』と呼んでもらいたいね。私は善人を演じるのに疲れたの。あなた でも ・・ いいから、さっさと私を 粛清 ・・ してよ」

 私は紫苑の襟元をつかむ。私の両眼から涙が激情と共に弾け飛ぶ。

「貴様! 私の姉上が、いや、 私たち ・・・ がいかに お前 ・・ を慕っているのかが分からんのか?」

 紫苑は虚無の笑みを見せる。

「ああ、 分かりたくない ・・・・・・・ ね。『ファイブスター物語』のエルメラや巴がファティマたちを憎んだのと同じ事だよ。あんたらウマ娘たちが揃いも揃って美人ばかりなのは、私ら 一般女子 ヒトミミ からハイスペックの旦那や彼氏を寝取って子孫を残すのを続けてきたからだよ。だから、 人間の女 ・・・・ である私があなたたちを憎むのは、至極当然なの」

「おのれ…!」

 私は、紫苑の喉を片手だけでつかみ、窒息させた。振り向くと、両眼の周りを赤く腫らした姉がいた。


「姉上…いや、 お姉ちゃん ・・・・・ 。私、この人を殺してしまった」

 私は自分より小柄な姉ドリームジャーニーに泣きつく。姉は、私の背中をさすり、頭を撫でる。

「オル、この人はまだ助かるかもしれない。救急車を呼ぼう」

「私は、取り返しのつかない事をしてしまった」

 私はその場に崩れ落ち、泣きじゃくる。日本ウマ娘トレーニングセンター学園の所属トレーナー、明智紫苑は府中市内の総合病院の集中治療室に運ばれたが、数時間後に死亡した。享年24歳。

【Dalbello - eLeVeN】