血の継承と文化の継承、そして意志の継承

 私は30年以上『ファイブスター物語』(以下、FSS)の愛読者であるが、この漫画はいつの間にか「血の継承」がテーマの一つになっていた。ある人曰く、FSSは巨大な「貴種流離譚」の集合体だ。なるほど、だからこそ「血の継承」がテーマになる。 

 では、『ゴールデンカムイ』(以下、金カム)はどうか? 和人の強盗夫婦が子供を残したが、鶴見中尉はアシㇼパの祖母 フチ にその赤ん坊を託した。その和人の子は「アイヌの子」として育てられる。

  私が思うに、民族のアイデンティティは「血」ではなく「文化」で決まるものだと思う(そもそも、和人、すなわち大和民族自体が様々な民族の混血である)。だから、稲妻夫婦の息子は「和人」ではなく「アイヌ」の人間として成長するだろう。金カムの世界観においては、「血の継承」よりも「文化の継承」の方が重要かもしれない。


 それはさておき、FSSは意外と「古臭い」要素がある。前述の「血の継承」をテーマの一つにしているのは、何だか宮城谷昌光氏の小説の世界観のように保守的な価値観だと思う。アイシャ・コーダンテの年齢や独身歴が「ネタ」にされるのは古典的なジェンダー観に基づくものだし、アルル・フォルティシモ(白人系の女性キャラクター)の肌色が「色黒」だというのが「ネタ」にされるのも、実に古臭い。そもそも、パルテノら黒人キャラクターを代表とする「有色人種」の立場がない。


 血の継承とは、生物学的な子孫を残す事である。それに対して、文化の継承とは精神的な子孫を残す事だ。司馬遷は前漢の武帝の逆鱗に触れて宮刑に処された(すなわち去勢された)が、それでも『史記』という形で精神的な子孫を残す事が出来た(一応、娘が産んだ孫がいたが、この孫の血筋がどこまで続いたかは私は知らない)。私も司馬遷のように精神的な子孫を残したい。だからこそ、小説やエッセイを書いて残したいのだ。

 ちなみにFSSの作者である永野護氏と奥方の川村万梨阿氏夫妻にはお子様がいない。いわゆるDINKsである。お二方の仕事とは、精神的な子孫を残す行為である。多分、永野氏はそれゆえに、自分自身とは対極にある「血の継承」をテーマにするのだろう。それに、FSSの舞台であるジョーカー太陽星団とは、文明の進歩が頂点に達してから退化しつつある世界なのだ。文化の継承の意味がなくなりつつある世界ではないのか? 


 王欣太氏の『達人伝』は、おそらくは「意志の継承」がテーマだろう。人間の自由と多様性を守ろうという意志を人々が受け継ぐのが、おそらくは『達人伝』のテーマだ。主人公たちの敵である秦という国は「画一化」の象徴であり、主人公たちの側は「多様性」の象徴だ。そういえば、日本人が好きな中国史上の時代といえば、三国志や春秋戦国時代だ。つまりは群雄割拠の時代だ。そして、日本史で人気がある時代は戦国時代や幕末だ。これまた「多様性」を象徴する時代ではないのだろうか?

【川村万梨阿 - 涙のSingle Rain】

 この高音がファルセット「ではない」らしいというのがすごいね。さすがは我が心の師匠の奥様である。