ダ・ヴィンチ誌の2012年8月号には『ジョジョの奇妙な冒険』特集記事が載っている。表紙には作者の荒木飛呂彦氏の写真が使われているが、この人、若いね! 我が心の師匠である永野護氏(荒木氏と同じ1960年生まれ)も若々しいが、荒木氏はケタ外れだ。
そう、『ファイブスター物語』並びに永野氏のファンである私としては、『ジョジョ』並びに荒木氏は色々と気になる存在である。FSSのライバルと呼ぶにふさわしい作品は『ジョジョ』と『エヴァンゲリオン』くらいのものだ。そして、荒木氏はダ・ヴィンチでのインタビュー記事でこう発言している。
《人間讃歌とうたったのは、ロボットの話には行かないという意思でもあったのですよ》
《人間が一番で、神様を一番にしたりしないっていう意思も入ってます。神様が全部の問題を解決してくれる……みたいな展開はナシ》
《他のマンガではやるかもしれないことを、JOJOではやらない》
これは邪推かもしれないが、私が思うに、荒木氏と永野氏はお互いの存在を意識しているだろう。前述の荒木氏の発言は多分、FSS並びに永野氏の方向性を意識したものではないかと思う。もちろん、両氏は表立って互いの悪口は言わないだろうが、それでも内心は互いのクリエイターとしての才能や存在感を意識している可能性は高い。
荒木氏はその気になれば、ものすごいSF作品を描けそうだが、あえて永野氏とは同じ舞台には立たない。荒木氏も永野氏も、FSSのログナーの「自分だけを追え!」という台詞通りの姿勢なのだ。あの二人ほどの大物だと、そのような領域に達する事が出来るのね。
しかし、「漫画の神様」手塚治虫氏は生前、有能な同業者に対してかなり嫉妬深かったという話を聞く。水木しげる氏に対して妨害工作を行ったという噂すらあったらしい。さらに、司馬遼太郎氏と松本清張氏は互いにライバル意識が強く、小説の賞の選考では決して同じ作品を推薦しなかったらしい。
ああ、いいな。萌える。私は優秀・有能な男性同士の確執に萌える性癖があるのだ。例えば、孫臏 と龐涓 の話がいい例だし、現代の小説だと冲方丁氏の短編小説『箱』(ハヤカワ文庫『OUT OF CONTROL』収録)なんて、ヨダレと鼻血がダラダラしたたり落ちるくらい、萌えるシチュエーションだ。ただし、無能な男同士のいがみ合いはあくまでも無価値でうっとうしい。
まあ、女同士のいがみ合いを喜ぶミソジニー男を嫌うフェミニストの女である私が、そんな性癖を持つのは、明らかに絵に描いたようなダブルスタンダードだけどね。女性同士の対立はたいてい「関係性」の問題だが、男性同士の対立はたいてい「能力」や「実績」や「立場」の問題なのだ。
男性同士の、いや、人間同士の真剣な対立とは、上辺だけの仲良しごっこよりもはるかに美しく尊いものだとすら思える。
【Styx - Mr. Roboto (Official Video)】
どうもありがとう、ミスター・ロボット。また会う日まで。