《これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりではなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう》
(『新約聖書』使徒言行録19より)
いわゆる「三国志」とは、歴史書である正史『三国志』と文学作品である小説『三国志演義』の二通りがあるが、それぞれ登場人物たちのイメージが食い違う事態は少なくない。それと似たような事態はギリシャ神話にもあるようだ。つまり、神話上のキャラクターとしての神々と、実際の信仰対象としての神々とのイメージの食い違いがあったようだ。
仮に、文学作品としての神話に描かれる神々を『三国志演義』的だとするならば、実際の信仰対象としての神々は正史『三国志』の人物像に相当する。その中でも特にそのようなギャップがあるのが、女神アルテミスだ。
神話の登場人物としてのアルテミスは、潔癖で男嫌いの瑞々しい処女神であり、若々しくほっそりとした姿というイメージがある。彼女の異母姉アテナも処女神だが、妹と比べると成熟した大人の女性のイメージである(そして、その「処女性」と「大人の女性」イメージの両立という複雑な立場こそが、アテナという女神の複雑な魅力をかもし出しているのだ)。アルテミスとは、キリスト教の聖母マリアや聖女ジャンヌ・ダルクに先駆けて「純潔な女性の美しさ」を体現したキャラクターである。
しかし、実際の信仰対象としてのアルテミスは、神話上のイメージとはだいぶ違う。エフェソスのアルテミスは動物や子供たちを守護する大地母神であり、その像はたくさんの乳房をぶら下げている。文字通り「おっぱいがいっぱい」だ。神話のキャラクターとしてのアルテミスは良くも悪くも「少女性(girlishness)」が強いが、大地母神アルテミスは成熟した大人の女性としてどっしりしている。
おそらく、新約聖書で非難されている「異教の女神」アルテミスは、今日伝わる神話上のきゃしゃな処女神ではなく、どっしりしたたくましい大地母神だっただろう。アルテミス信仰をめぐるドタバタの舞台は、他ならぬエフェソスだ。そして、「全世界があがめる」女神とは、母なる大地に他ならない。
ただし、現代のオタクコンテンツなどの題材にされるのは、たいていはさすがに神話上の「処女神/少女神」としてのアルテミスである。しかし、オタクコンテンツにおいて「処女」や「少女」が美意識上尊重されるようになった原点として、古代のアルテミス信仰などの処女神崇拝や、その「二次創作」のようなキリスト教の聖女崇拝があったのだろう。
【DIANA ROSS - Upside Down】
アルテミスのローマ神話での名前はディアナ(英語読みではダイアナ)だから、とりあえずダイアナ・ロスの曲を置いとく。生前のマイケル・ジャクソンとの関係には色々と噂があるらしいが、マイケルについてはそのうち別に記事を書くかもしれない。