かつて私は猛烈に椎名林檎にハマり込んだ。昔の日記を読み返してみると、かなりゾッコンだった証拠の記述が残っている。私が年下の同性に対してここまでベッタベタに惚れ込むのは珍しい。私は「林檎姫」の虜になっていた。
小説家の酒見賢一氏は、デビュー作『後宮小説』を「勉強小説」と評されてカチンときたらしいが、私は林檎ちゃんの楽曲に対して「勉強してるなぁ」と感心していた。多分、本人は私の感想に対して酒見氏同様の反感を抱くだろうが、それでも「不勉強」呼ばわりされるよりはよっぽどマシだろう。
ちなみに、ある雑誌で、ある音楽ライターさんが林檎ちゃんのデビューアルバムを聴いて「古臭い」という批判をしたが、この音楽ライターさんの批判と私の賞賛がコインの裏表であるのは言うまでもない。あのレディー・ガガの例がある。80年代の洋楽をリアルタイムで知っている世代にとってはガガ様は「懐かしい」が、そうではない世代にとってはむしろ「新しい」。林檎ちゃんに対する感想もそんなものだ。
しかし、私の「林檎熱」は冷めていった。不倫やできちゃった結婚、さらには愛車に「ヒトラー」と名付けていたなどのスキャンダルによって、私は林檎ちゃんに対する思い入れが冷めてしまい、ファンをやめてしまった。CDやDVDを売り払い、しばらく林檎ちゃんから離れていた。
私は林檎ちゃんが写真撮影の際に「アーティスト写真」の略称「アー写」を「アー写って何? MISIA?」と訊いたり、BONNIE PINKをもじったダジャレ「母乳ピンク」なんて落書きをした…なんてエピソードがあるのを知り、「結構、他の同業者に対して意地悪そうだな」と思ってしまい、すっかり幻滅した。確かに倖田來未ほどの悪質な暴言は連発していないが、それでも気分は良くない。当人が東京事変を結成しても、私はほとんど無視していた。
しかし、私の「林檎熱」は蘇った。NHKの音楽番組に出演した林檎ちゃんの曲「流行」を聴いて、私は当人を見直した。やっぱりこの人、優れたミュージシャンだ!
それ以来、私は再び林檎ちゃんの曲を聴くようになったが、かつてのような「狂信」はない。既婚男性相手の不倫趣味(そう、一部の男性の「人妻趣味」のように、趣味とか性癖とかいうのがしっくりする)やら、右寄りの人たち相手に媚びるイメージ戦略やらは苦々しいが、それでも当人のミュージシャンとしての才能を過小評価するつもりはない。私は「人間」としての林檎ちゃんはあまり好きではないのだが、ミュージシャンとしては好きなのだ。
今はただ才を愛するのみ。
《追記・2022/10/10》
椎名林檎氏が新作のノベルティグッズに「ヘルプマーク」や「赤十字」に酷似したデザインを用いて批判されているが、これはかつての倖田來未氏の「女性は35歳過ぎたら羊水が腐る」発言以上にシャレにならない事態である。当時の倖田さんにはまだ「若気の至り」だったという弁解をする余地があるが、れっきとした大人の女性である上に、個人事務所の社長でもある椎名さんは、擁護出来ない。
多分、椎名さんは堀江貴文氏や西村博之氏のような人たちと同じく、自らの性格・人格的な評価を度外視しているのだろう。それよりも、自らの才能や功績に対する評価を重視しているのだろう。その辺は「女の梟雄」と呼べるかもしれない。音楽業界だけに限らず、芸能界とは「人徳」ではなく「才能」を売り物にする世界である。どれほど人格的に優れていようとも、芸能人としての「才能」が微塵もないならば、その人は芸能界にいるべきではない。とはいえ、椎名さんの「愚行」は擁護出来ないけどね。
【椎名林檎 - 流行】
私が一番好きな椎名林檎の楽曲『流行』。
ああ、かっこいい。たとえ「卑劣なる聖女」であろうとも。まあ、私はあくまでも「ミュージシャンとしての椎名林檎」のファンであって、決して「人間としての椎名林檎」のファンではない。