私がいつか読んだ本に、こんな話があった。ある金持ち男性が亀を飼っていた。この人はこの亀を「改造」した。彼は亀の甲羅に穴を空けて宝石をはめ込んでかわいがったが、亀は彼に「反抗」した。亀は、自らの死によって彼に復讐した。
私がこれから書くのは、これから書く予定の小説のためのメモのようなものである。
松永久秀という人物は、「将軍殺し」「主君一家暗殺」「大仏殿焼き討ち」などの「悪事」によって、戦国時代最凶の「梟雄」と見なされる事が多い。しかし、一部の研究家たちからは、彼の「梟雄」伝説が江戸時代以降に作られたものだと見なされている。
私はこの久秀を小説のモデルにする予定だが、彼を単なる「悪人」にはしたくない。しかし、宮城谷昌光氏の小説のヒーローみたいな清廉潔白な人物として描くのは面白くない。善悪両面合わせ持つ複雑な魅力の人物として描きたい。
岡崎京子氏の漫画『ヘルタースケルター』のヒロイン「りりこ」は、元々貧乏人の娘として生まれた整形美女である。このカリスマモデルりりこは、自分の後輩である「こずえ」と出会って衝撃を受ける。こずえは、りりことは違って生まれついての美少女だった。
私が思うに、久秀と織田信長の関係とは、りりことこずえのようなものだったのではないだろうか? ただ、こずえが自分に嫉妬するりりこを軽蔑していたのに対して、信長は案外、久秀に対して好意的だったのかもしれない。「面白い奴」。そんな感想で、信長は久秀を自分の「人材コレクション」に加えたかったのではなかろうか?
しかし、久秀はそんな信長の怪しげな「寛大さ」に対してプライドを傷つけられたのではないかと、私は思う。信長に対して二度も裏切っても、許された。これは暗に「敵の名に値しない小物」扱いされたようなものではないのか?
「俺はお前の玩具 じゃない」
単なる「珍品」として面白がられるのは不愉快だ。かつて、孔子の「敵」だった陽虎という男は、まるで久秀の「原型」の如く「暴れ回った」が、最終的には晋の趙簡子(「Merciless」趙襄子の父親)の「忠臣」になった。しかし、久秀にとっての信長は趙簡子ではなかった。
「俺の首などお前にはやらん」
彼は信長のものになるのを拒み、死んだ。彼は自らの死によって、信長に最後の反抗を果たした。たとえ、どれだけの「悪名」が後世に残ろうとも、上辺だけの「忠臣」を演じて虚しい人生を過ごすくらいならば、サッサと砕け散る方がよっぽどマシ。戦国のファウスト博士は、傲慢な「神」の手から去った。
【藤井風 - 本能(椎名林檎「本能」のカバー)】
サピオセクシュアル系の男の色気。