ツイッターで、あるお方が「美人に対して嫉妬深い男性」について言及していた。「美男」ではなく「美女」に対して嫉妬深い「男性」だ。言われてみれば、確かに異性に対してやたらと嫉妬深い男性は少なくないが、当人たちのほとんどはおそらくは無自覚だろう。「たかが女ごときなんぞ、いちいち嫉妬してやる価値などない」などと思いつつも、いちいち嫉妬しているのだ。
美男ならぬ美女に対する嫉妬心とは、古典的なジェンダー観からすれば女性的な心理だと見なされていたハズだ。しかし、現代の日本社会では、女性が自分よりも容姿レベルが高い同性に対して嫉妬心をあらわにするのは「器が小さい」「了見が狭い」「女としての型が古い」などと揶揄される恐れがある。女の沽券に関わる事態だ。むしろ、「嫉妬深い女」というレッテルを貼られるのを恐れて、積極的に美人をほめる女性が多いだろう。そもそも「対岸の佳人」よりも、身近な十人並みの同性の方がよっぽどリアルな「敵」であり得る。
そういえば、エッセイストの酒井順子氏は「女性に対してやたらと批判的な男性は女性性が強いタイプではないのか」という仮説を立てていたが、そうすると、この世の大半の男性は「女性的」という事になるのではなかろうか? そもそもミソジニーというもの自体が純粋に「男性的な価値観」だとは限らない。ネット上のフェミニストの女性たちの中には、自分が気に入らない同性の悪口を言う際に相手に対して「名誉男性」というレッテルを貼る人がいるが、それにならって言うなら、ミソジニストの男性は一種の「名誉女性」だろう。下手すりゃ、男性のミソジニーとは「女心の簒奪」だという仮説すら成り立つ余地がある。
男性が「美女を手に入れた男」ではなく「美女」そのものに対して嫉妬心を抱くのは、「美女はイージーモード」という迷信にとらわれているからだろう。しかし、「美人薄命」という言葉は元々「美人は何らかの不幸に巻き込まれやすい」という意味だ。同性からの嫉妬だけではない。男性からの迫害もある。女性嫌悪の大半は「女心嫌悪」だ。だから、美女もブスと同じくその対象にされてしまう。
ネット上では「弱者男性」という言葉をよく見かけるが、女性よりも弱者男性の方がよっぽど強者男性に依存している。だからこそ、「名誉女性」である弱者男性は強者男性を非難出来ず、代わりに女性を非難するのだ。
ある男性ツイッターユーザーさんは、次のような告白をした。
《中学生くらいの頃、性的に悶々としていて、テレビに出ている美人の女性アナウンサーを見て、なぜか「憎悪」を抱いた。自分はこんなに性的に充足されていないのに、この人はきっとエロい事をしているのだろうという想像に基づく憎悪が湧いたが、それには自分でも驚いた。あの爆発的な憤怒とも言える憎悪は、自分でも恐ろしいくらいだった》
それに対して、別のツイッターユーザーさんはこう感想を書いた。
《なるほど。だから訳もなく女性を憎む男性が多いのか…。女性が自分のモノではなく、別の誰かのモノになるという事態に基づく憎悪。この方の場合は、知識や感情面などの学びで恨みつらみを解決したけれども、裏を返せば、女性を憎悪する男性には、知識や共感性や感受性が乏しいのだろう》
2019年に廃止されたヤフーブログでブロ友だったある男性ブロガーさんは、男性の美女に対する嫉妬心について「自分が美女に相手にされないやっかみではないか」「隣のブドウは酸っぱい的な意味合いもあるだろう」とコメントしていた。
確かにそれもあるだろうとは思うが、私は「弱者男性」の美女への嫉妬はさらに、自分が「男として生きていく」事に対するつらさがあるように思う。ネット上では実社会とは違って、男性は単に男性であるというだけではチヤホヤされないので、いわゆる「ネカマ」を演じる男性ネットユーザーさんたちがいるのだろう。
ある人の本に「女子カースト」をテーマにしたものがあるが、「男子カースト」もかなり過酷だろう。男性も女性も、同性間カーストで上位にある人は「カースト」の過酷さに対して(さらにはカーストそのものに対して)無自覚な人が多そうだ。
【Madonna - Vogue】
男女双方の嫉妬心をかき立てる、「強者女性」のシンボル。我らが女王、マドンナ。