確かに性別二元論や恋愛至上主義はいかがわしいのね

 私は数年前に、ある小説投稿サイトで、興味深いエッセイの連載を見つけた。それは性別二元論や恋愛至上主義などに異議を唱えるものだが、私にとっては腑に落ちるものである。

 そもそも私自身、占いの「恋愛運」という項目を見るたびに、違和感を覚えるのだ。それは私自身を含めた「非モテ」の独身者だけの問題ではない。曲がりなりにも浮気をしてはいけない事になっている既婚者はどうなんだ? セックスレスでも仲の良い夫婦は別に珍しくはなかろう? その「セックスレスでも仲の良い」夫婦の間にあるのは「恋愛」ではなく「友情」ではないのか? この「恋愛運」とは、「交際運」もしくは「人間関係運」に変えた方が良いだろうに。

 セックスレスを罪悪視するのはおかしいが、それに伴って「おかしい」のは、やたらめったらと草食系男子を非難する中高年男性たちである。そして、そんな脂ぎった中高年男性たちが読む雑誌に掲載されているセックス特集である。私はコンビニの雑誌棚でそんな雑誌の表紙の見出しを見るたびにウンザリする。「まだら呆け」ならぬ「まだら性嫌悪(もしくはムッツリスケベのパートタイム性嫌悪)」の私にとっては、ananのセックス特集も結構目障りだが、オヤジ系雑誌のそれよりはまだマシである。エロなら何でもいいんじゃないんだよ! 


 年下の男性スターに熱狂する中高年女性は珍しくないが、それでも彼女たちは「自分はおばさん・おばあさんだから」と身のほどをわきまえているだろう。しかし、草食系の若い同性を非難しつつも、自らは年甲斐もなく若い女に欲情しているオジサンたちは見苦しい。ファッション雑誌などを読んで勉強して、身の回りをキレイにするなどの努力をしているオジサンたちはまだ許せても、それもなしにギラギラしているのは見苦しい。

 それに、草食系男子とはそのような痛々しい同性(中高年男性だけに限らず)を反面教師にしているのではなかろうか? さらに、曲がりなりにも異性愛者である人でも「恋愛なんて面倒くさい。ややこしい人間関係よりも、自分一人で趣味を楽しむ方がよっぽど良い」と思う人は現在では珍しくない。

 そもそも、全ての若い男が肉食系男子だったら、オジサンたちのほとんどは負けるだろうに(そういう点では、オジサンたちは若い草食系男子に対してはむしろ感謝すべきである。何しろ草食系男子は、自らのチャンスを他の誰かに「譲ってあげている」のだからね)。単純に「肉体的な」魅力を求めるなら、男女共に若い異性(もしくは同性)を求めるのが自然だ(まあ、だからこそオジサンたちは若い女を好むのだけどね)。そして、中高年の男女が恋愛市場で勝負するには、それ相応の知性や精神性などが必要だ。しかし、無謀なオジサンたちは、たいていそちらをないがしろにしている。


 私は前述のエッセイ集の著者さんとは違って、恋愛もののフィクションに対してはさほど嫌悪感はない。そもそも、自ら恋愛小説を書いているのだ。ただ、BLや乙女ゲームなどのような怪しい世界観は苦手なのだ。

【西野カナ - 会いたくて 会いたくて】

 この人のアンチは案外、若い世代が多いのではないかと、私は思う(何歳までが「若者」なのかは、人それぞれ意見が違うが)。中高年者にとってはわざわざ嫌うほどの関心も持てない存在だろうし、恋愛至上主義の恩恵をこうむる機会を持てない若い人たち(素人相手の恋愛どころか、賃金の低さゆえに、性風俗サービスの利用も出来ない)からの反感を買うのも仕方ないだろう。

 私は「実は西野さんは、歌詞の内容ほどには恋愛至上主義者ではないだろう。あくまでもビジネスだと割り切って、恋愛至上主義的な歌詞を書いて商品化しているに過ぎないのではないかな?」と思っていたが、それは別に西野さんだけに限った事ではない。恋愛至上主義的な価値観は西野さんのデビュー前の時代、特にバブル期に猛威を振るっていたものだし、若い人たちは西野さんの歌詞に対して、バブル世代に対するのと似たような反感を覚えていたのかもしれない。