今そこにいるピーター・パンとウェンディ

 昔、某大物男性作家が「女にオタクはいない」と言っていたらしいが、これは色々と解釈出来る言葉だ。一つは、文字通り「オタクである女はいない」だが、もう一つ「女のオタクは『女』としても『オタク』としても認められない」という解釈である。 

 いずれにせよ、これは「男より女の方が現実的だ」という陳腐な物言いの延長だ。ある人は「もし、ピーター・パンとウェンディが現実世界にいたら、ウェンディはピーター・パンのプラモデルを捨ててしまうのではないのか?」と想定していたが、これは、他ならぬ現実世界の女性たちが、自らを「私は女だから、男より現実的でオトナ」という妄想の枠組みに押し込める状態を示している。 

「男より女の方が現実的」なんて「神話」は、男性が女性の行動や価値観や思考回路などを制限する(いわば、男にとって都合のいい女に仕立て上げるための妄想を刷り込む)ためのものだが、これは「男のロマン」を守るどころか、逆に侵害するものであり得る。前述のお方が指摘するように、自らを「男より現実的でオトナ」だと思い込む女は、「ロマンチックな永遠の少年」である(という事になっている)男の趣味に対する理解などなく、男を「オトナの女である私が教育すべきガキ」として見下し、夫や恋人のコレクションをゴミ扱いするのだ。


 前述のお方が指摘するように、女も男と同じく心に「オタク」や「子供」が住み着く余地はあるし、それを否定してはならない。さもなくば、女を「現実主義者の皮をかぶった化け物」に変えてしまう。女だって、男と同じく「ロマン」が必要だ。そう、息抜きする余裕は男女双方に必要なのだ。 


 それはさておき、ツイッターでは九州地方や東北地方などの男尊女卑についての様々なツイートがあるが、北海道はそんなに大した女性蔑視はない分、楽だと言える。たとえ女性蔑視傾向の強い男性がいても、それは地域性ではなく個人的価値観だったりする。北海道は男女共に働く開拓の歴史がある分、内地よりリベラルではないかと、私は思う。 

 ネット上で見かける田舎のいわゆる「膿家脳」ネタなんて、いかにも内地の田舎の話だなぁと思うのね。とはいえ、「膿家脳」的な価値観の持ち主は都会にもいるだろうし、北海道にもいるだろう。しかし、これからの世間の価値観の変化次第では徐々に淘汰されていくのではないかな。

【優里 - ピーターパン】

 検索してたまたま見つけた楽曲。私がブログ記事にユーチューブの音楽動画のリンクを貼るようになったのは、あるお気に入りブロガーさんの影響である。おかげで、色々な楽曲やミュージシャンを知る事が出来るようになった。文明の利器はありがたいね。