芸能界に「バッド・フェミニスト」は生息出来るか?

 ズバリ、私はダウンタウン(並びにダウンタウン派閥)が嫌いだ。なぜなら、あの辺の男性芸人さんたちは、いかにも「学校文化」の暗黒面を感じさせるから不愉快なのだ。同様の事はとんねるず、いや、石橋貴明氏にも言える(とりあえず、木梨憲武氏には他の三人ほどの不快感はない)。

 要するに、義務教育期間における男子いじめっ子のイメージなのだ。他の男子たちに対するマウンティングや、女子たちに対するセクハラなどの負の匂いが立ち込める存在感が不愉快なのだ。ただ、この手の芸人さんたちが放つ「負の匂い」と、学校文化の暗黒面との関係は、いわゆる「鶏が先か卵が先か」だったりもする。少なくとも、私の義務教育時代のいじめっ子連中は、変にお笑い文化にかぶれていた。お笑い文化のどぎつさは、子供や若者のサディズムをあおる。

 その点では、昔の萩本欽一氏の冠番組は偉大だったと思う。視聴者のサディズムをあおり立てる事もなく「お笑い」を成立させていたのだ。しかし、今の日本のお笑いファンたちには欽ちゃん的な優しいお笑いは物足りない。より一層、刺激を求める。 


 今の私が昔に比べてテレビを観ていないのは、自分の好みに合う番組が少ないからだが、今時のバラエティ番組に対しては、なかなか食指なんぞ動かない。傲慢な大物芸人と、媚びへつらうひな壇芸人。なんて気持ち悪い図式なんだろう。

 私は男性お笑い芸人に対して派閥争いなどのきな臭さを感じてしまうが、女性お笑い芸人に対してはそうでもない。ああいうジャンルの女性芸能人は、他のジャンルの女性芸能人たち(例えば、モデルさんや女優さん)よりは同性同士の協調性がありそうだからだ。お笑い界は男性優位だから、フェミニズム的な結束力が高まるのかもしれない。しかし、日本人女性芸能人でハッキリ「フェミニスト」という姿勢を取る人はめったにいない。やはり「男社会に寄生する」メリットの方を選ぶのかね? 


 しかし、私は数年前にツイッターで、某女性アイドルグループの元メンバーが一般人らしきアカウントとやり取りをしているのを見た。そのAさん(仮名)は「『バッド・フェミニスト 』を読んでみます」とツイートをしていた。その『バッド・フェミニスト』(亜紀書房)という本は、アメリカ人フェミニストのロクサーヌ・ゲイ氏が書いたものだが、私はまだこの本を読んでいない。しかし、アマゾンレビューを見ると、翻訳がボロクソで、本の内容を台なしにしているらしい。うーん、訳し方が「バッド」だなんて、実にシャレにならない。

 それはさておき、「女の敵は女」そのものの世界で生きてきたAさんがフェミニズムに関心を抱くのは、やはり時代の流れだろう。いくら「女の敵は女」という言葉があるからと言っても、さすがに限度がある。何しろ、全ての女性たちが対等なライバル同士になれる訳がない。ましてや、50人近い大所帯の女性グループならば、いくつかの派閥に分かれてライバル意識を抱いて、派閥内部ではとりあえず仲良くしているというのが自然だろう。いかなるフェミニストが否定しようとも、ガラスの天井ならぬ「ガラスの壁」というべき「女女格差」は確実に存在するのだから。


 とはいえ、こんな表現は語弊があるが、フェミニズムに貴賎なしだ。未成年者だろうが、専業主婦だろうが、トランスジェンダーやセックスワーカーだろうが、誰でもフェミニストになる権利はある。ましてや、「女の敵は女」そのものの世界に生きる女性アイドルだって、むしろその立場ゆえにフェミニストになる権利はある。少なくとも、既成のフェミニストが「新参者」を拒むのは悪手だ。

 女性フェミニストの中には、男性フェミニストを否定する人がいるが、これもまた「悪手」である。おそらく、男性フェミニストに対して不信感を抱く女性フェミニストは、相手に対して「あんた、仮に女に生まれていたとしてもフェミニストになっていたのか?」「むしろ、オタサーの姫タイプの女になっていたんじゃないの?」と思っているのだろう。しかし、あるお方の「運動というのは敵を味方に変えていくものなのに、味方を敵にしてどうするのか?」という言葉は、まさしくフェミニズムにも当てはまるものではないのか?

 そもそも「フェミニズム」「フェミニスト」という言葉は、明らかに性別二元論を前提としたものであり、男性差別に対応するものではない。女性差別・男性差別双方に反対する理念を表す造語として、私は「ノンセクシズム」「ノンセクシスト」並びに「アンチセクシズム」「アンチセクシスト」を提案する。何しろ、「男性差別は存在しない」などと言い張る自称フェミニストのミサンドリストは、ミソジニストと同じく「性差別者 セクシスト 」なのだから。

【 AKB48 - ヘビーローテーション

 とかく過小評価される「アイドルポップス」という音楽ジャンルだけど、むしろ、自作自演のミュージシャンこそが過大評価されやすいと言える。元メガデスのマーティ・フリードマン氏がどこかで「なまじ、ビートルズの楽曲のクオリティが高かったせいで、自作自演のミュージシャンが過大評価されるようになった」と言っていたっけな。