ある小説投稿サイトに『秦の誓い』という題名の小説があった。それは中国・春秋戦国時代の秦国の歴史を語るものだったが、これから紹介する映画は、これにならって『フィルモアの誓い』という副題をつけるのがふさわしいだろう。
映画『花の詩女 ゴティックメード』は、2012年に公開された永野護監督のアニメ映画である。そう、我が最愛の漫画『ファイブスター物語』(以下、FSS)の作者が制作した映画である。そして私は2019年、ドリパスで再上映が決まったこの映画を観に行った。放映時間が近づくまで、私は映画館がある狸小路商店街をブラブラしていたが、その映画館の近くには場外馬券売り場がある。もちろん、馬券は買わない。レースに出走する馬の名前が気になったが、すぐに売り場から出ていった。別に競馬自体に興味はないし。
(その後、『ウマ娘』経由で馬や競馬に興味を持つようになるとは思いもよらなかった)
ところで、王欣太 氏の春秋戦国時代漫画『達人伝』に描かれているお馬ちゃんたちは実にマッチョな肉体美に描かれているが、初期の『蒼天航路』では、今のゴンタ氏が描くほど馬がマッチョではない。当時のゴンタ馬がサラブレッドのイメージだとすれば、現在のゴンタ馬は別の馬種をモデルにしているかもしれない。
さて、時間が来た。私は映画館の受け付けでチケット予約の証拠であるドリパスのページ(スマホ画面)を見せて、会場に入った。他のお客様たちに失笑されそうなポジション、最前列の真ん中(!!)である。
「もっと後ろの列を選べば良かった…」
私は軽く後悔はしたが、しかし、自分のブログのネタになると割り切り、上映を待った。
オープニングには、FSS12巻の表紙が出てきた。おそらく、カンの良い永野氏ファンの方は、初上映時にこの時点でこの映画の正体に気づいただろう。しかし、私は当時、気づかなかった。アマテラスとラキシスの娘であるカレンが出てきても、私はあくまでも、当人を「永野ワールドの象徴として出てきたのだろう」としか思わなかった。
物語の舞台は、植民惑星〈カーマイン〉である。この星には詩女 と呼ばれる高位の巫女的存在の女性がいる。地球史に置き換えるならば、ローマ教皇やダライ・ラマの女性版のような存在だが、この映画の主人公の若さからすると、インドやネパールの少女の現人神「クマリ」にも似ているかもしれない。その新米詩女である〈ベリン〉が、生まれ故郷から赴任先である都へ旅立つところに、よその惑星の大国〈ドナウ帝国〉の皇子〈トリハロン〉が「自分たちは詩女一行の護衛として派遣されてきた」と称してやってきた。
トリハロンが言うには、ある勢力が詩女を狙ったテロを計画している。それで、自分たちは〈惑星連合〉からベリンらの護衛を依頼されて、カーマイン星に派遣されてきたのだ。ベリンとトリハロンは互いの立場や考えを巡って口論するが、いつしか歩み寄るようになる。
話は変わるが、私のツイッター仲間だったあるお方は「#武器ではなく花を」というハッシュタグの提案者である。この「武器ではなく花を」がこの映画のキーワードのようなものだと、私は思う。ベリンは、旅先で花の種を蒔く。そう、「花」こそが平和や幸せの象徴なのだ。
なぜこの映画が『秦の誓い』ならぬ『フィルモアの誓い』なのかは、実際に映画をご覧になれば分かる。要するに、これはFSSの一部であり、フィルモア帝国とボォス星の前史なのだが、本編の大掛かりな設定変更の予告でもある。この設定変更の現実世界における理由は色々と噂があるようだが、ストーリー上では「機械仕掛けの神」カレンとより上位の神の仕業だとほのめかされている。
【川村万梨阿 - 空の皇子 花の詩女】
この高音がファルセット「ではない」というのがすごい。ダンナも天才なら、ニョーボも天才だ。
映画本編のソフト化が永野氏に許可されていない最大の理由は、おそらくは海賊版の流出に対する警戒であろう。永野氏自身は「映画は映画館で観るものだろう」と、人を煙に巻くようなコメントをしたそうだが、そもそもこのお方自体が「信頼出来ない語り手」なのね。
永野氏自身が制作に関わっていない映画『ファイブスター物語』はDVD化はされているが、キャラクターデザインを手掛けた結城信輝氏の絵柄は永野氏とは全く違う作風なので、違和感を抱く人は少なからずいるだろう。正直言って私、結城さんの絵柄は好みではないのね。
王欣太氏が『蒼天航路』の序盤で行った事を、永野護氏はこの映画という形で行ったのかもしれない。