いわゆる首都圏連続不審死事件の容疑者である木嶋佳苗受刑者は、一部の女性著述家たちの「ミューズ」、すなわち、インスピレーションの源となる女性キャラクターになっている。ミューズとはギリシャ神話の芸術の女神たちの総称だが、人間の女性に対して使われる「ミューズ」という単語は、普通はいわゆる「美女」である。さらには、基本的には男性の芸術家に対して影響力のある女性である。
本人の容姿といい、男性たちよりもむしろ女性たちに対して影響力を及ぼすという点において、木嶋佳苗という女性は「アンチ・ミューズ」もしくは「オルタナティヴ・ミューズ」だと言える。
女性向けアダルトグッズ専門店〈ラブピースクラブ〉のオーナーであり、コラムニストでもあるフェミニストの北原みのり氏にとって、佳苗は下手な異性(男性)以上の「ミューズ」だった。物心がついた頃からフェミニスト気質だったらしい北原氏は、自分とは全く対照的な精神性を持つ佳苗に惹かれ、 あちこちで取材し、佳苗の裁判を傍聴し、ルポルタージュ本を出した。しかし、佳苗はそんな北原氏を憎んだ。その理由は色々と推測出来るが、そんな北原氏の本の影響を受けただろう小説が、柚木麻子氏の『BUTTER』(新潮社)である。
私はこの小説の感想文を書くために、スマホアプリでメモを取りながら読んでいた。齋藤孝氏の「三色ボールペン」方式よりも、こちらの方が個人的には効率が良い(そもそも、小説で三色ボールペンチェックをするのは無粋である)。本文中の気になる記述を見つけたら、それについて書き込むが、さらにはそれから連想した別の話題を付け足す。要するに、文書作成のアプリを読書ノートにするのだが、文明の利器は実にありがたい。
小説を読み終え、メモを終わらせた後で、木嶋佳苗がこの小説を非難しているブログ記事を読んだが、私は中村うさぎ氏の本(私小説とエッセイの境界線上の内容のもの)『狂人失格』(太田出版)のモデルになった一般人女性ブロガーさんを連想した。その一般人女性ブロガーさんは中村氏や岩井志麻子氏を相手に訴訟を起こしたが、佳苗も柚木氏相手に訴訟を起こそうとしていたらしい。ただし、自分自身が『BUTTER』の出版元である新潮社と執筆契約していたので、あえて訴訟を起こさないでいたらしい。
私は、佳苗が柚木氏相手に訴訟を起こすつもりだったという話に、なぜか失望していた。「男の金で食う飯はうまいが、自分以外の女の金で食う飯はむしろまずい」「だから、他の女相手にわざわざ金を求めない」という誇り高い女性像を想定していただけに、期待を裏切られた気分である。
そんな木嶋佳苗という「概念」をモデルにした小説『BUTTER』には、二人の、いや、三人のヒロインがいる。メインヒロインは、雑誌記者で長身の「女子校の王子様」タイプの女性である〈マッチー〉こと町田里佳。サブヒロイン1号は、里佳の親友伶子。そして、サブヒロイン2号は、言わずと知れた「概念としての木嶋佳苗」がモデルの〈カジマナ〉こと梶井真奈子。柚木氏は木嶋佳苗本人には会った事がないというので、生身の人間としての「木嶋佳苗」ではなく、世間に流布している概念としての「木嶋佳苗」を真奈子のモデルにしたのだ。だから、この本の帯にある佐藤優氏の「殺人事件を扱ったノンフィクション ・ノベルの名著として歴史に名を残すことは間違いない」というコメントは間違いである。
真奈子は実際の木嶋佳苗と同じく「女嫌い」で、フェミニストを嫌うが、さらにはマーガリンをも嫌う。この「マーガリン」とは言うまでもなくバターの代用品だが、「女子校の王子様」としての里佳を暗示するアイテムかもしれない。里佳は、独自の美意識を持つ真奈子に惹かれて翻弄されていくが、この二人のやり取りは『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターとクラリス・スターリングの関係を連想させる。さらには、『虐殺器官』のジョン・ポールとクラヴィス・シェパードをも連想させる。
実在人物である木嶋佳苗も、某ネット掲示板で《無駄に知識もあって上品なそぶり、レクター博士かよ》とコメントを書き込まれていた。佳苗はレクター博士のようなカニバリズムは実践していないが、しかし、男性たちを「食い物にしていた」という点においては確かに「女性版レクター博士」である。そして、真奈子も佳苗やレクター博士と同じく、他者を容赦なく切り捨てる。
真奈子に翻弄されて切り捨てられた里佳や伶子は、傷を負っても再生する。真奈子にとっての酸っぱいブドウは、里佳や伶子やその他友人たちにとってはおいしい七面鳥の丸焼きである。その「聖餐」によって、物語は完結する。この小説は「食」の描写が魅力的だが、アマゾンレビューを覗いてみると賛否両論ある。しかし、私はこの「食」の描写にこそ本能的に満足する。
【BTS - Butter】