血の海の上に築かれた都市 ―冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』―

 冲方丁 うぶかた とう 氏の『マルドゥック』シリーズ第二弾『マルドゥック・ヴェロシティ』(早川書房)は、前作『マルドゥック・スクランブル』の前日談である。この小説の主人公は、前作の主人公ルーン・バロットの最大の敵役だった男、ディムズデイル・ボイルドだ。この物語は、彼とかつてのパートナーであり親友だった「万能ネズミ」ウフコックとの決別を描いている。

 この小説のボイルドとウフコックが属するのは、人命保護を目的とした緊急法令「マルドゥック・スクランブル -09」に基づいて行動するチームである。このチームのメンバーたちは、ボイルドやウフコックと同じく身体改造を受けた超人たちで、揃いも揃って個性豊かで魅力的なキャラクターたちなのだが、最初から「悲劇」が決まっているだけに、次々と脱落してしまう。それだけに、泣ける場面は少なくとも個人的には『スクランブル』より多い。 


 さて、私は『スクランブル』の感想で「男性の敵キャラクターたちが真の主役かもしれない」と書いたが、この『ヴェロシティ』も同様だ。詳しい事はネタバレになるので書かないが、この小説の男性の敵キャラクターたちもまた、『スクランブル』のシェルや「畜産業者」集団と同じく「男の怖さや醜さ」を示している。なるほど、世間一般の男性たちが必死で否定したがる(あるいは、それ以前の問題として、自覚すらしていない)暗黒面だ。世間一般の女性たちが「木嶋佳苗」的な女性像を「他者化」したがるようなものだ。冲方氏が執筆中にパニック状態になって失踪/疾走したのも納得出来る。おそらく、女性が自らの経血を確認するよりもはるかに「見たくない」ものだっただろう。

 ちなみに北海道弁には「醜い」「みっともない」という意味の「みったくない」という言葉があるが、おそらく「見たくない」に由来するだろう。そもそも、標準語の「醜い」自体が「見にくい」に由来するのではないかと思ったのだが、どうやら「見る」+「憎い」が語源らしい。


 このシリーズの舞台マルドゥック市は、恐ろしいまでの格差社会である。「サイバーパンク・バビロン」とでも呼ぶべきこの街は、戦争の犠牲者たちも含めた様々な人々の屍の上に築かれた(そもそも、街の名前自体がバビロニア神話の男神マルドゥークに由来するが、この神は母なる女神を倒して世界を作り上げた。聖書の天地創造の話は、その神話の変形である)。上辺はきらびやかだが、その裏は血なまぐさく、腐敗臭がある。様々な階層に「堕落」がある。男だけではなく、「恐竜のような」女たちも都会の腐敗臭にまみれている。

 前作『マルドゥック・スクランブル』をライトノベルに分類する人たちがいるが、『スクランブル』の「ライトノベル」的要素は主人公が十代の「戦闘美少女」である事くらいなので、違和感がある。ましてや『ヴェロシティ』の主人公は一人前の成人男性で、ハードボイルドな元軍人だ。小説の内容自体があまりにも「ハード&ヘヴィ」過ぎる。あまりにもえげつない残虐シーンがあるので、これは決して万人向けではない。『スクランブル』がダメな人は、なおさら『ヴェロシティ』はダメだろう。ラムやマトンの「臭み」が嫌いな人に山羊汁を勧められないようなものだ。


 余談だが、『ヴェロシティ』の一部の登場人物たちの年齢設定には違和感がある。詳しい事を書いてしまうとネタバレになってしまうのだが、ひょっとして、某女性キャラクターは整形手術で実年齢よりも若く見えたのだろうか? しかし、だとすればなぜ体型がそのままなのか? まあ、物語の本筋とは関係ないが、気になるね。

【Queensryche - Eyes Of A Stranger】