私が一番好きな漫画は、永野護氏の『ファイブスター物語』(以下、FSS)である。中学時代に出会って以来、30年以上経つが、不動の一位である。しかし、FSSの次に好きな漫画、すなわち二番目に好きな漫画は、時期ごとに変わっていった。
例えば、藤島康介氏の代表作『ああっ女神さまっ』は、FSSと同じく「運命の三女神」がヒロインである。FSSの三姉妹の名は、ギリシャ神話の運命の女神「モイラ」たちに由来するが、『女神さまっ』の三姉妹の名は、北欧神話の運命の女神「ノルン」たちに由来する。もしかすると、これは元々FSSを意識して企画された漫画だったのかもしれない。しかし、実際には、FSSとは全く違う内容と魅力のある漫画である。
私にとってFSSとは、漫画の面白さの判断基準となる作品である。つまり、私が漫画を読む際には常にFSSの影のもとにある。さらには、漫画だけではない。私が宮城谷昌光氏の小説の女性観や女性キャラクターたちを苦手とするようになったのは、FSSを彩る魅力的な女性キャラクターたちに惹かれるからである。永野氏曰く、「男にとって都合のいい女性キャラ」だけは避けたい。それによって、かえってこの漫画における「女性」の描き方は多彩になり、厚みが出来た。
そこまでFSSにベタ惚れし続けている私が惚れたもう一つの傑作が、李學仁 氏が原案を書き、王欣太 氏が作画をした「ネオ三国志」漫画『蒼天航路』(講談社)である。これは、『三国志演義』並びに「一般的な三国志観」においては悪役とされる魏王曹操を主人公とした、当時(90年代)としては画期的な作品である。ちなみに陳舜臣氏の小説『曹操』も大体同時期に執筆された作品だが、『蒼天航路』も陳氏の曹操小説も、『三国志演義』ではなく正史『三国志』並びに『後漢書』を土台にしている。
私が好きな「FSS以外の」フィクションとは、たいてい、FSSにはないものを持っている。その最たるものこそが『蒼天航路』である。FSSが鋭利な刃物ならば、こちらは巨大な鉄槌である。この漫画の曹操は超人的な人物だが、それゆえに第三者目線から見れば「理解出来ない他者」そのものである。同じく「理解出来ない他者」として、諸葛亮の怪しげなキャラクターが設定されているが、この諸葛亮は、曹操のみならず主君劉備の「噛ませ犬」でもある。『蒼天航路』のもう一人の主人公とは、他ならぬ田舎豪族の切れっ端のヤンキー兄ちゃん、劉玄徳なのだ。
曹操と諸葛亮は、それぞれ違う方向性でFSSのアマテラスのミカドのパロディのような人物である。それに対して、劉備は「地を這う人間」そのものである。しかし、『蒼天航路』の世界において最も「神」の名にふさわしい人物は、関羽である。
関羽は最終巻においては、曹操を差し置いて実質的な主人公となっている。すでに道教において「関帝」として神格化されている関羽だが、『蒼天航路』は彼をさらに高みに置く。そして、一般的には「元祟り神の財神」とされる関羽は、この漫画ではそれ以上の「神」となる。少なくとも、この漫画の関羽は「祟り神」となったとは思えない。
「幸福な夢を生きた」
そして、新たな神は生まれた。
私は昔、この漫画の単行本を集めていたが、途中で挫折して古本屋に売り払ってしまった。しかし、私は映画『花の詩女 ゴティックメード』のドリパスでの上映を見逃した腹いせとして、まんだらけ札幌店で『蒼天航路』の単行本全36巻をジャケ買いならぬヤケ買いをして、再読した。あの映画への未練を引きずりつつ読み続けたが、読み勧めていく内に、私は感動と気力を取り戻した。
私がこの漫画を再読するまでに、FSSの次に好きな漫画は二転三転した。よしながふみ氏の『大奥』や野田サトル氏の『ゴールデンカムイ』がそれらだが、今回の再読により、『蒼天航路』は再び「FSSの次に好きな漫画」の地位に返り咲いた。私はそれに感動している。
【TRIBAL CHAIR - 909】
どうやら、アニメ版『蒼天航路』のオープニング曲らしい。