金色の暴君舞姫宮本すばる ―曽田正人『昴』『MOON』―

Shion Akechi "Orfevre The Golden Tyrant" Invidia et homicida voluntas mea est. 2024
Shion Akechi "Orfevre The Golden Tyrant" Invidia et homicida voluntas mea est. 2024

《馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ(塚本邦雄/『感幻樂』)》

【Sylvie Guillem's final performance "Bolero”】

 私はメインブログなどで何度となく『ウマ娘』版オルフェーヴルの人物像に対する不満をぶちまけているが、そんな私にとって史実のオルフェーヴルのイメージにより近いと思える一人の女性キャラクターがいる。曽田正人氏のバレエ漫画『昴』並びに続編『MOON』のヒロイン、宮本すばるである。

 まるで、ギリシャ神話のアラクネのような、まるで、楚漢戦争の韓信のような、まるで、今は亡きミュージシャンのシネイド・オコナーのような、傲岸不遜な激情家の天才。そう、彼女こそが私にとっての「ウマ娘版オルフェーヴル」のイメージであり、実際にゲームに登場してしまった〈春申君の妾〉などではない(注.『韓非子』姦劫弑臣第十四を参照していただきたい)。

 ちなみに私には「サピオセクシュアル」もしくは「サピオロマンティック」傾向があるのだが、まさか私にとってウマ娘版ドリームジャーニーがその傾向に当てはまるキャラクターだとは、思いもよらなかった。私より小柄なのに、サピオセクシュアルな大人の女の色気が感じられるのが好きなのだ。私自身の性的指向においては、必ずしも三次元の異性(男性)が相手である必然性はないのだが、そんな私にとっては、『キングダム』の李信(単純おバカ野郎)は『ウマ娘』版ドリームジャーニー(中村うさぎ氏の造語「闇フェロモン」を感じさせる美女)とは対照的な「対象外」である。男も女もノンバイナリーも、知的レベルが高い人が、私は好きなのだ。

 とはいえ、『ウマ娘』のプレイヤーの分身としての女性トレーナーとは私自身ではなく、山崎紗也夏氏の漫画『サイレーン』の正ヒロイン猪熊夕貴のイメージなのだ(ちなみに、ダークヒロイン橘カラは『ウマ娘』の〈春申君の妾〉のイメージである)。私がなりたいのは、どこぞやの自称「女体化向井理」の勘違い人妻などではなく、この猪熊夕貴のような真っ当な正義感や義侠心がある女性である。要するに「憧れとは理解から最もほど遠い感情である」のだ。つまりは、私自身の内面は猪熊よりはむしろカラに近いのだ。そして、この「憧れとは理解から最もほど遠い感情である」とは「女の敵は女」の対義語に等しい言葉である。自分にとって理解不能な人や物事をわざわざ非難する必要はないし。

 

 アーサー王伝説のモードレッドと同じく5月1日に生まれたヒロイン、宮本すばるには、重病人である双子の弟・和馬がいた。和馬は脳の腫瘍によって、徐々に記憶が失われつつあった。そして、すばるは友人の母親が経営するバレエ教室に入門する。

《誰かが言った。芸術家は普通の人ほど子孫を残すことに執着しない。なぜなら、“作品”こそが自分の子供だから》(8巻第83話より)

 すばるの「傲慢さ」とはある種の無邪気さに由来する。決して、宮城谷昌光氏が想定(というか邪推)する「韓信」のイメージのような「邪悪」で「狡猾」なものではない。

《自己陶酔。人間としちゃ最悪だが、ダンサーなら極上!!》(9巻第98話より)

 やはり、宮城谷昌光氏が嫌う韓信こそが、宮本すばるという「舞姫」なのだ。

《おまえを殺してしまわないものはすべておまえを強くしてくれる》(9巻第99話より)

 韓信に対する楽毅、オルフェーヴルに対するディープインパクト、そしてレディー・ガガに対するマドンナのごとき大物バレエダンサー、プリシラ・ロバーツとの(それぞれ別の会場での)壮絶な舞踏/武闘『ボレロ』対決を終えたすばるは一言「はたらくって大変だね」と言う。すばるは「プロのダンサー」になっていた。プリシラはヒラマツ・ミノル氏の女子バレーボール漫画『ヨリが跳ぶ』に登場する梶容子 かじ ひろこ に似た人物であるが、彼女はすばるが自分を脅かす怪物に進化していたのに対して、内心恐れを抱いたようだ。

 11巻の後半はすばるの事実上の初恋が描かれている。熱狂の後の静かな世界で出会うすばるとアレックスだが、実はアレックスはFBIの捜査官であり、すばるの不法滞在について調査していた。残念ながら失恋したすばるはアメリカを去る。「彼らの名は永遠に生き続ける」。こうしてすばるは一旦アメリカから去るのだ。

 

 続編『MOON』は前作から少なくとも一年後のドイツで始まる。良くも悪くも、すばるは変わらない。ある人曰く、ある種の天才は自分の人格が自分の才能の奴隷になってしまうというが、そんな自由奔放のようで実は自分自身に惑わされている彼女の目の前に一人の男性が現れる。彼の名はニコ・アスマー、盲目のバレエダンサーである(前作のすばるがレンズを黒く塗りつぶした伊達メガネをかけて歩いたエピソードがその伏線だったようだ)。

《あたしもあんなふうになりたいの。みんながおそれて…気をつかって…あたしは…そう。尊重されたいの。あたしがバレエをやる理由はそれ。尊重されて生きるため》(1巻第9話より)

 すばるは自らの過ちにより、弟の早逝や両親の離婚を招いた。『ウマ娘』のドリームジャーニーとオルフェーヴル「姉妹」は家族仲が良い(良過ぎる)設定だが、私にとってはその設定は嘘くささを感じさせるものだ(どうせなら、曹丕と曹植みたいな緊張感がある関係性にすれば良かったのだ)。むしろ、すばるが家庭崩壊を招いた「業」こそに現実味がある。現実世界の「天才」にだって、そのような「業」を背負った人たちは何人もいるのだ。

《媚びない。へつらわない。この世界から、“必要とされて”生きる》(5巻第49話より)

 そんな「金色の暴君舞姫」宮本すばるに似たライバルキャラクターとして、中国人女性バレエダンサーのシュー・ミンミンがいるが、彼女もすばるに負けず劣らず「暴君舞姫」である。

《世の中の、多くの人は、人生を賭けて闘うようなものがないから、そのかわりに「いい人」になることを目指すんだと思ってた。仕方なく、ね。そんな価値基準、あたしにはカンケーない。あたしにはバレエという目的 ターゲット があるから。「いい人」になることなんか人生で重要じゃなかった。色んな人から言われてきたよ。性格サイアク。スバルはムチャクチャだって》(9巻第96話)

 司馬遼太郎氏の『項羽と劉邦』の韓信だって、そういう人だった。まさに宮城谷作品のアンチテーゼのように。

 

 結論。私にとってはやはり『昴』シリーズの宮本すばるこそが『ウマ娘』版オルフェーヴルのイメージにふさわしいキャラクターである。傲慢不遜で、傍若無人で、気性難で情緒不安定な天才でありつつも、周囲を巻き込む恐るべき人物であり、彼女こそが真の「金色の暴君」舞姫である。

【Sinead O'Connor - Troy】