我が悪夢の女王たち ―中村うさぎ『狂人失格』―

 私は競走馬擬人化作品群『ウマ娘』にハマったのをきっかけにして、競馬に興味を持つようになった。その『ウマ娘』以前の「下地」として、80年代後半(代表者、オグリキャップ)から90年代前半(代表者、ナリタブライアン)までの第二次競馬ブーム並びに旧コーエー出版部の雑誌『光栄ゲームパラダイス』に掲載されていた『ウイニングポスト』シリーズの記事があったが、今世紀の私は『ウマ娘』のゴールドシップの存在をきっかけにしてステイゴールド系競走馬たちに惹かれるようになった。そう、その代表者こそが2011年に三冠馬になったオルフェーヴルだ。

 しかし、当時の私は彼の存在自体を知る余裕はなかった。あの東日本大震災だけが理由ではない。私はヤフー知恵袋の某カテゴリーで、ある女性投稿者と一時的に仲良くしていたが、実は彼女が自分より十歳ほど若い「子持ちの人妻」でありながらも、当時の某カテゴリーの一部男性ユーザーたちに粉をかけまくっていたゆえに、私は彼女を本気で「怨念」「殺意」レベルで憎んだのだ。それゆえに、私は彼女相手に「キャットファイト」を仕掛けたのだ。

 もしかすると、私にとっての『ウマ娘』版オルフェーヴルとは、当時の私自身の悪意が具現化したものかもしれない。なぜなら私は、『ウマ娘』版の「彼女」のあまりにも「解釈違い」の人物像に対して「怨念」「殺意」レベルの憎しみを抱いたから、自らの過去に復讐された気分なのだ。私が二次元の女に対してここまで激しい憎しみを抱いたのは、これが初めてだ。

 私はnetkeibaの「彼」の掲示板を最初から「阪神大笑点」前後まで読んでみたが、やはり『ウマ娘』版の「彼女」はあまりにも「解釈違い」過ぎる。実馬のかわいらしさなど、微塵もない。姫野カオルコ氏が映画『プリティ・ウーマン』に対して「許せない!」と思ったのは、私の『ウマ娘』版オルフェーヴルに対する嫌悪感と同様だったのだろうか?

 

 最も主役の座にふさわしい三冠馬が、最も主役にふさわしくないキャラクターにされてしまったのは実に残念だ。ビワハヤヒデとナリタブライアンを「女性版諸葛兄弟」にしておけば、代わりに「彼女」に「一匹狼」属性を割り当てられて、もっと史実の「彼」に近いキャラクターに出来ただろうに。

 

 昔の中村うさぎ氏はある同性の同業者に対して、私がヤフー知恵袋の前述の某氏や『ウマ娘』版オルフェーヴルに対して激しい憎しみを抱いたのと似たような怨念を抱いたようだ。その顛末を描写したのが『狂人失格』(太田出版)という本である。中村氏はインターネット上で、ある「作家志望」の一般人女性の存在を知ったが、中村氏の同業者である某氏が「優花ひらり(仮名)が作家になれるんなら、私はウィーンの社交界でデビューしてみせる」と言い放ったのをきっかけに、中村氏と「優花ひらり」氏の運命が狂わされた。

 この『狂人失格』が出版されたのは、2010年2月である。そして、私が初めて携帯電話を購入したのは翌月である。それで私は初めてインターネットを使えるようになり、ヤフー知恵袋を始めた。ちなみに私がヤフー知恵袋に会員登録したのは、お笑い芸人コンビ「マシンガンズ」のネタがきっかけである。ヤフー知恵袋には様々なカテゴリーがあるが、私はしばらくは中国史カテゴリーに出入りしていた。

 私の「彼女」に対する心境の変化は、だいたい海音寺潮五郎氏の『孫子』における龐涓 ほう けんと似たようなものである。私は自らの「自分以外の女」に対する憎しみに支配されて荒れ狂っていた。私は彼女とのトラブルを元ネタにした掌編小説をアメブロに投稿したが、彼女は自らのインターネット上での「枕営業」の「客」たち相手に、自身のブログで私の掌編小説を丸パクリした上で、さんざん笑い者にしたのだ。しかも、「どうか不幸せに」という捨て台詞付きで。

 

 そんな某氏に似た人物は、少なくとも二人はいる。一人はウィキペディアに記事が掲載されるほどのフェミニズム系女性文化人であり、性的な意味での「カマトト」こそは一切ないものの、自分自身も含めた世間一般の女性たちの「有害な女らしさ」に対してはカマトトぶっていた。私は、そんな善良ぶった彼女を憎んだ。しかも、彼女は実質的にトランスヘイターと化してしまったのだ。

 そして、もう一人は前述の中村うさぎ氏の著書で取り上げられている作家志望の一般人女性「優花ひらり」氏である。ヤフーの問題の女性は「元いじめられっ子」「一時期荒れていた頃を『論語』に救われた論語マニア」「体力があるから、高校卒業後、自衛隊に入りたかった」「結構背が高いから、向井理みたいなイケメンと間違われる」などと「自虐風自慢」をしていた。そんな彼女のトドメの一発、「この人(私自身の事)は私になりたかった女性です!」。

 は? 何勘違いしてるんだ? ちょっと背が高いくらいでここまでいい気になれるのかな?

 私は彼女との決裂以前に、中村うさぎ氏の『狂人失格』を読んでいたが、残念ながら私はそれを他山の石には出来なかったのだ。しかも私は、別のカテゴリーの常連質問者の若い女性に対して「この子をあのカテゴリーの新たな『アイドル』として擁立しよう」と目論み、彼女に対して色々と誘いをかけた。しかし、この女性質問者さんは私の誘いには全く乗らず、私の目論見は見事に外れた。それゆえに、私は中村氏のような不運には遭わなかった。

 

 今でこそは、当時の私自身にまだまだ「若気の至り」の名残があったので、さすがに当時の私が「彼女」に対して喧嘩を売ったのはやり過ぎだったと反省出来る。しかし、私は義務教育時代に男子クラスメイトたちに「バイキン」扱いされていたゆえに「男性不信」並びに「男性嫌悪 ミサンドリー」に陷っていたので、ヤフー知恵袋の某カテゴリーで生まれて始めて「女性」として男性たちに丁重に扱われて、いい気になってしまったのだ。それゆえに、私は「私以外の『女』がいる」と警戒し、嫉妬し、彼女に対して「怨念」並びに「殺意」レベルの憎しみを抱いてしまったのだ。

 

 問題の「優花ひらり」氏は、自身のブログのコメント欄で他の一般人たちから誹謗中傷の被害に遭っている。そんなアンチ連中は、ある意味ネトウヨやトランスヘイター以上の卑怯者である。ネトウヨやトランスヘイターには「自分は『巨悪』と戦っている」などという的外れなナルシシズムやヒロイズムがあるのだろうが、「優花ひらり」に対して誹謗中傷している連中には、そのような「理論武装」すらない。ただのいじめっ子だ。

 いわゆる「一般的な」男性は、首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗受刑者のような女性に対しては「ブスだなぁ」と思った時点で、それ以上の関心を持たない。そして、「優花ひらり」氏に対して監視や誹謗中傷をしている人たちには、多分男性はほとんどいないだろう。まさしく「争い事は同レベル同士で起こる」のだ。

 

 ちなみに「優花ひらり」氏が「作家になりたい」という夢を抱いた理由は、実はあまりにも「凡庸過ぎる」ものだった。自分が憧れている男性芸能人に対する恋心ゆえに、彼女は「作家」という肩書きを得たかっただけなのだ。同じ芸能人になれないなら、せめて「作家」として売れっ子有名人になりたいという、あまりにも「凡庸過ぎる」欲望でしかないゆえに「狂人失格」なのだ。それゆえに、彼女は自分自身が表現したいものがなかったのだが、そんな彼女を誹謗中傷する輩も五十歩百歩でしかないのだ。

【REBECCA - MOON】