「『ある文士たちの悲劇』…か」
シャレにならないタイトルの記事。頭が痛い。自業自得だが。
俺とユエ先生夫妻のスキャンダルが大々的に報道されるようになって以来、俺はテレビやラジオの出演依頼が減っており、本業でも徐々に敬遠されるようになっていた。さらに、俺のスキャンダルに連動してか、邯鄲グループ各社の株価が下がりつつあるようだ。
しかし、父さんも母さんも何も言ってこない。それがますます不安をかき立てる。
今の俺は、ライラに会いに行く以外は、家に引きこもりがちになっている。たまに買い出しに出かけるが、普段は自室でタブレット端末を手にして、小説やエッセイの推敲をしている。子供の頃から世話になっている人が経営しているボクシングジムにも通っていないから、ランスにもロビンにも会っていない。
どうせ、あそこでも白眼視されるのだ。
自分たちのスキャンダルが異様に大々的に報道されているのは、おそらく政界に何か動きがあるのをごまかしているからなのではないのか? 少なくとも、芸能ニュースとはそのような煙幕として世間に流されるのだ。
確かに自分は、世間に非難されても仕方ない。それだけの罪深さは十分ある。
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《フォースタス! 貴様、いい加減にしろ!》
ランスの奴から電話が来た。こいつは俺のスキャンダルに激怒している。
法科大学院に在籍しているランスは、ユエ先生の教え子ではない。しかし、こいつは俺と同じく、子供の頃から色々とユエ先生のお世話になっている。
普段、冷静沈着なこいつが本気で怒るのは怖い。こいつは俺にとって、半ば兄貴分なのだ。それだけに、こいつの助言・忠告に対しては真剣に耳を傾ける必要があるのだが、今はそれどころではない。
《一発ぶん殴って、目を覚まさせてやる!》
「お前、そんな暴力事件起こしたら、人生を棒に振るぞ!」
《うるさい!》
「だから、もうすぐ絵のモデルの仕事は終わるんだよ。ユエ先生との約束もあるし」
《先生がお前と奥さんの関係を許す訳ないだろ!?》
「だから、その…」
いや、先生との約束を漏らす訳にはいかない。俺は、さんざん怒鳴り散らすランスを無視して、電話を切った。
「やれやれ…」
俺は、いつも通りにユエ邸に行き、ライラのアトリエ兼寝室で彼女と交わり、絵のモデルの仕事をした。絵は、確かに完成に近づきつつある。
「もうすぐ完成するけど、まだまだ完成させたくないわ」
ライラは言うけど、俺はもう解放されたい。しかし、ユエ先生とライラの関係は冷え切っている。だからこそ、彼女は俺を求めた。
アスターティ。
突然、なぜかあの娘を思い出した。俺の婚約者。なぜ、俺はバールである彼女と婚約したのか?
アガルタの研究者たちが言うには、俺たち人類は種 として限界に近づきつつあるという。その人類に新たな血を注ぎ込むために、人類とバールの融合が必要だというのだ。
そもそも、バールたちは元々人間の亜種である人造人間であり、様々な点で人間より優れた資質を持っている。その「強い」血を俺たち天然の人類と混ぜ合わせるのだ。それで実験台に選ばれたのが、アガルタの研究者の一人ミサト・カグラザカ・チャオの息子である俺と、古代フェニキアの太女神の名を持つあの娘だった。あの娘は、次世代の「聖母」「女神」となるべく産み出されたのだ。
でも、なぜわざわざそこまでしなければならないのか? この世に終わらないものなどないのに。
俺がアスターティを避けているのは、自由に恋愛をしたかったからだが、それだけではない。俺の初恋相手で、数年前のモノレール爆発事故で亡くなったヘレナに似てきたからだ。それがつらい。
俺はユエ邸を去り、車を飛ばした。すぐに家に帰らずに、しばらく走る。気晴らしとしてのドライブだけど、これぐらいでは気分なんか晴れない。
午後2時過ぎ、アヴァロンシティはそんな俺の思惑なんぞに目もくれずに輝き続ける。
《お前らのスキャンダルなど消耗品に過ぎない》 そんな声すら聞こえそうだ。
三文ゴシップレストランのメニューは新鮮さが第一、人の噂も七十五日。旬が過ぎればメニューは替わる。しかし、俺の醜聞はまだまだ生々しい。
多分、少なくとも2、3か月はメディア上をたらい回しにされ続けるだろう。
《pi,pi,pi…》
電話だ。また、ランスの野郎か? だから、今はほっといてくれ! 俺は思ったが、違う。この番号は、ユエ先生だ。
俺は車を止め、端末を手にした。 「はい、フォースタスです」
《フォースタス、ちょっと来てほしいんだ》 「どうしました?」
《急がねばならない。僕らの予定が早まったんだ》
早まった? 何だろう? 俺は、ユエ先生が待つあのイタリア料理店に向かった。
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「それでは、チャオさん。あなたはライラさんとお互いに合意の上で関係を結んだのですね」
ついに、この時が来た。俺とユエ先生、リジーとバーナード・ルーシェ弁護士は先生の家に戻り、ライラと応接室で話し合う。ルーシェ弁護士は俺に質問する。
「はい、間違いありません」
「ちょっと待って! フォースタスは悪くはないわ。私が一方的にフォースタスと関係を持ったのよ!」
ライラは反論する。それに対して、ユエ先生はライラを諭すように再反論する。
「ライラ、僕は君もフォースタスも責めるつもりはない。ただ、別れてほしいんだ。僕はリジーと一緒になりたい。リジーのお腹の子もいるんだし。慰謝料も、僕から君に支払う。その代わり、例の絵がほしいんだよ」
「だったら、マークの親権はどうなるの!? 私たち、あの子に構ってあげられなかったじゃないの! それに、あの子はあなたにも私にもついて行きたくないでしょう」
「ああ、その通りだ!」
俺たちがドアの方向を振り返ると、そこにはマークがいた。
「やぁ、おかえり。マーク」
「おかえりじゃねぇ! 俺がお前らのせいでどれだけ傷ついてきたか、思い知れ!」
マークは、台所から持ってきた包丁を手に、俺に襲いかかった。ユエ先生やルーシェ弁護士が止めようとするのを振りほどき、刃は俺の心臓を狙っていた。
「やめて!」
とっさに、ライラが俺をかばい、息子の凶器に「正確に」左胸を貫かれた。
マークは、ユエ邸の張り込みをしていた二人の男たちに取り押さえられた。ルーシェ弁護士は警察に電話し、救急車を呼んだ。
しかし、ライラは即死していた。
マークは逮捕され、ライラの葬儀が行われた。
参列者たちが俺とユエ先生を見る目は冷ややかだった。ランスは俺に一言も口をきいてくれなかった。
師弟揃って文壇追放というシナリオすら思い浮かぶ。俺は師匠の妻との不倫。そして、ユエ先生は俺の元恋人との不倫と、相手の妊娠。激昂した息子の母親殺し。
世間での俺たちの評判はさんざんだった。俺は、ある雑誌でのエッセイの連載を打ち切られた。
マークは、少年刑務所に入った。
✰
あれから一年。文壇で干された俺は大学を休学し、ハイスクール時代からの友人スコット・ガルヴァーニが主宰する劇団〈シャーウッド・フォレスト〉で裏方の仕事をしている。
ランスはマロリー法律事務所に就職したが、いまだに俺を許してくれない。しかし、スコットは俺に同情してくれた。
「あのさ、フォースタス」
「何だい?」
「お前が今書いている小説だけどさ、俺らに舞台化させてくれないか?」
スコットは言う。 「いや、まだ完成していないけど」
「そうか…」
俺は窓を通して空を見上げる。午後4時近く。今の季節ではまだまだ空は明るいが、俺の心はいまだに暗い。スコットはそんな俺の気分を察したようだ。
「ランスの奴、いまだにお前を許してないけど、俺からも許してくれるように頼むよ」
「ありがとう、スコット」
「はーい、スコットにフォースタス。差し入れを持ってきたよ」
ドレッドヘアの黒人の女が紙袋に入った何かを抱えている。ナターシャ・パーシヴァル。シャーウッド・フォレストの看板女優にして演出家で、彼女も俺のハイスクール時代のクラスメイトで、友人だ。
「おお、ドーナツ! ちょうどいいところに来てくれたな。フォースタス、食おうぜ」
俺はナターシャからドーナツを受け取ってかじった。ピーナッツバターとアーモンドが香ばしい。
他の団員たちも、あちこちでこの差し入れを食べているようだ。隣の部屋から屈託なく賑やかな談笑が聞こえるおかげで、何だか少しは気が楽になったような気がする。俺たち三人は隣の部屋に移った。
シャーウッド・フォレストの連中は俺に親切にしてくれる。もちろん、俺の不祥事を内心快く思わないメンバーたちも少なからずいるだろうが、少なくとも、俺を露骨に白眼視する人間はいない。
それは多分、スコットやナターシャらの人徳のおかげだ。俺はこいつらに感謝している。
ユエ先生はリジーと再婚し、子供が生まれていた。女の子で、名前はアナベラという。名前に「ベラ」がついているが、「ベラ」とはライラのミドルネームだ。
俺は先生の家に出産祝いの贈り物を届け、サッサと帰った。先生はかろうじて文壇追放という状況に追い込まれずに済んだが、俺は『ファウストの聖杯』を抱えながら迷走していた。
【LOOK - シャイニン・オン 君が哀しい】