また、桜吹雪の季節を迎え、私は例年通り桜の写真を撮る。桜は散り、緑が輝く夏が来た。
「セレストブルーの軽自動車か。かわいいな」
私は新車を買った。初運転の助手席に座ってもらうのは、当然フォースタスだ。後部座席にはメフィストがいる。
「21歳の自分自身への誕生日プレゼントよ」
「良い買い物だな」
私たちは港に向かう。
アスタロスは士官学校を卒業し、ゴールディと共にパンジア大陸南部にある基地に勤務している。あのソーニアにある基地だ。中央政府はあの地域を警戒している。そんな物騒なところに派遣されたアスタロスは、今年の春に若くして父親になった。
ルーとケイティ・ウキタ博士が、人工授精でアスタロスの子供を産んだのだ。
ケイティ博士の息子は、フォースタス・ナオイエ・ウキタと名付けられた。この子は超女系家族のウキタ家に数百年ぶりに生まれた男の子だ。この子は私のフォースタスやマツナガ博士との区別のため、遠い祖先に由来するミドルネームを略して「ナオ」という愛称で呼ばれている。
ルーの娘は、ヒナ・アスターティ・チャオと名付けられた。この子の名付け親はマツナガ博士だ。ルーはフォースタスのお姉さんだから、フォースタスにとってもこの子は実の姪である。
幼いヒナの名前は、マツナガ博士の今は亡き最愛の女性に由来する。
私は「伯母」になった。
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「今日はハロウィンだからな、カボチャの汁粉を作ろう」
フォースタスは台所でカボチャを切っている。
本来ならば、カボチャ入りの汁粉は日本の冬至に食べるものだったが、現在の植民惑星アヴァロンではなぜか、一部の日系人がハロウィンにカボチャ入りの汁粉を作って食べる。
出来上がったのは、カボチャと紅芋を使った白・オレンジ・紫の白玉団子の入った汁粉だった。
「オレンジと紫のハロウィンカラーだ」
「うん、おいしい!」
「うまうま」
メフィストは、汁粉に入れない団子を食べている。この子はカボチャが好きなのだ。
「そういえば、思い出した」
フォースタスは言う。
「シャーウッド・フォレストにいる奴から言われたけど、バンドやらないかって」
「え、そうなの?」
「それで、お前がヴォーカルとリーダーやれって、そいつに言われたんだ」
確かに、舞台版『ファウストの聖杯』でのこの人の歌唱力とギターの演奏力の評判は良かった。
「〈チャオランド(Chaoland)〉…名前まで決めていた。どう思う、アスターティ? 暗にお前にも参加してもらいたいみたいなんだよ」
期間限定のバンド活動については、ミヨンママも乗り気だった。私はソロとしての活動は休止中だが、この企画には挑戦する価値があると思った。シャーウッド・フォレストのメンバーが三人、ギター、ベース、ドラムス。フォースタスと私がヴォーカルだ。
最初で最後のアルバムタイトルは『Land of Confusion(混迷の地)』。バンド名にある「Chao(趙)」はフォースタスの苗字だが、「chaos(混沌)」にも引っ掛けている。このバンド活動には、反戦・反差別・反ファシズムなどの意味が込められている。
352年の私の目ぼしい音楽活動は、このイレギュラーなものだけであり、あとは、CMソングや他の歌手への楽曲提供だけだった。テレビなどのメディアへの露出もほとんどない。私は芸能界の「主流派」から距離を置いていたし、数年前の「天才美少女ミュージシャン」などという大仰な売り込みなど遠い過去に過ぎなくなった。
あとは、無事に大学を卒業出来るように頑張るだけだ。
「今年の桜も良い桜」
私は今年もセントラルパークでシャッターを切る。
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352年の春も、当然私はセントラルパークの桜並木の写真を撮りまくった。期間限定バンド活動〈チャオランド〉としての作品発表はそれからだ。
もちろん、留年せずに卒業する。これが現時点で一番の目標だ。幸い、私は留年せずに進級している。フォースタスとの結婚はそれからだ。
フォースタスの小説やエッセイ集は次々とヒットし、映画化やドラマ化を果たしている。私も頑張る。
「平和の果実を食べに行こう」
武器ではなく花を。平和の果実を食べに行こう。
チャオランドの楽曲は、私のソロ活動での楽曲よりもはるかに強烈なリズムだ。パンクロックとアフリカ系の大地の鼓動を感じさせるリズムを組み合わせた荒ぶる「アンセム」。各曲の作詞はメインヴォーカルのフォースタスが担当し、私がこの人の詞にメロディを付けていく。微調整を繰り返しながら、楽曲に肉付けをしていくのだ。
ただし、私たちだけではない。他のメンバーたちが作った楽曲もいくつかある。
真夏の風に乗り、荒ぶるリズムとメロディが弾けて流れてゆく。サポートメンバーたちが何人か参加しているが、その中に私のバックバンドのキーボーディストのジミー・フォスファーがいた。
セントラルパーク近くのライヴハウスでの、一夜限りのライヴは、成功に終わった。後は、無事に大学を卒業するだけ。私は卒業論文に取り掛かる。
チャオランドの楽曲は、〈ジ・オ〉や〈神の塔〉の関係者を怒らせた。
私自身のソロ活動ではほとんどやらない、政治風刺が歌詞に込められているからだ。
現在のアヴァロン連邦の大統領並びに所属政党〈アヴァロン民主党〉はリベラル派だが、カルト教団〈ジ・オ〉の政治部門である超極右政党〈神の塔〉は「マッチョマン」プレスター・ジョン・ホリデイを擁している。彼らは、一部の白人富裕層と貧困層の両極からの支持を集めている。そのホリデイ支持者らが、ネット上で私たちの中傷を始めた。
巷では、私にまつわる奇妙な都市伝説がある。
「アスターティ・フォーチュンの悪口を言う者は不幸になる」「その代わり、アスターティをほめる人間には何らかの幸運がある」という噂があるのだ。おそらく、それらはミヨンママらが私にまつわる様々な噂を広めないために思いついて、それら悪質な根も葉もない噂に対する予防処置として広めた「伝説」だろう。
しかし、その「都市伝説」の神通力は破られた。いや、むしろ、私の今までの評判が良過ぎたのだ。
ロクシーの美容整形疑惑の噂は前々からあるが、あまりにもありふれていて、今さら世間の耳目を集める事はない。むしろ、陳腐なギャグとして扱われている。そんなロクシーの人気はすでにピークを過ぎていたが、仮に私がいなかったとしても、彼女の人気はいずれ下り坂になっていただろう。
問題は、単なる悪口などというものではなかった。
「アスターティ・フォーチュンの正体はバールだ」
「小学校入学以前の経歴は謎だった彼女は〈アガルタ〉から来た」
そうだ。ついに私の正体が知られてきたのだ。
人造人間であるバールたちは、警察官や看護師や保育士などの仕事で世間に出ている。しかし、私のように華やかな舞台に出るような事態は不文律として認められなかった。
私は芸能人として無期限活動休止を宣言し、大学に通う。それ以来、私は「外界」の友人たちとは距離を置いている。
ただ、一人を除いて。
《アスターティ、私よ。ネミ》
ネミ…ネミッサ・ハラウェイ。売れっ子モデルの彼女は、今となっては「外界」における数少ない親友の一人だった。
私は久しぶりに彼女と電話で会話する。
「久しぶりね」
《元気?》
「うん…ちょっとへこんでる」
《今度、アガルタで検診があるんでしょ? 私もその日に行く。あなたとフォースタスと話したい事があるの。大事な話ね》
フォースタス? 大事な話って何だろう?
《あなたの意見を聞きたいの。〈ソロモン・プロジェクト〉についての大事な話よ》
✰
「ねえ、果心 」
「何だ、緋奈 ?」
誰かの声が聞こえる。
「カシン」と「ヒナ」? あの『ファウストの聖杯』の主役カップルと同じ名前で呼び合う男女の声だ。
「ソーニアの動きが怪しいけど、やはり〈ジ・オ〉の連中がホリデイを焚き付けているのね?」
「あのマッチョマンも奴らの人形だからな。奴自身は『俺は意志の強い男だ』と信じ込んでいるようだが、見事にあいつらに踊らされている」
マッチョマン? あのプレスター・ジョン・ホリデイがどうしたのだろう?
「ロクシーは今、ホリデイのそばにいるけど、不自然なくらい話題にならないわね」
「ああ。アスターティのニュースが煙幕にされているな」
「それにしても、皮肉な事ね。偽の記憶を植え付けられて、普通の人間として生きているバールが、バールたちを排斥したがるカルト教団に利用されているなんて。不遇な少女時代を過ごして生きてきた女のシンデレラストーリー…そんな偽りの記憶ですら、トップシークレット扱いだったけど」
何だって? あの人、ロクシーがバールだって? 「民間のバールメーカーは半ば軍需産業だ。二枚舌の〈ジ・オ〉と結託しているメーカーがあってもおかしくない。少なくとも、ロクシーはアガルタのバールではないぞ」
「リリス・グレイル社は?」
「リリス・グレイル、すなわち〈聖杯幇 〉。そもそも、あそこは若社長が〈ジ・オ〉を嫌っているし、あいつの母親がバールであるという時点で、〈ジ・オ〉との同盟などあり得ない。もっとも、矛盾だらけの〈ジ・オ〉の事だから、俺たちの予想の斜め上を行っていてもおかしくないな」
私は金縛りになっていた。果心と緋奈と名乗る男女の声しか聞こえない。これは多分、夢だ。
様々な映像が乱舞する。それらの中に、あの男女の姿がちらつく。果心と名乗る男性は、どことなくフォースタスに似ている。緋奈と名乗る女性は、色白の肌に長い艶やかな黒髪の美女だ。他にも色々と見える。〈ジ・オ〉のテロリストらしき集団の姿が見える。プレスター・ジョン・ホリデイの寝室のベッドでしどけなく横たわるロクシーがいる。
金縛りが解けた。
私は生まれたままの姿で空を飛ぶ。極彩色のアヴァロンシティから飛び立ち、天を目指す。巨大な火の玉が街に落ち、大地が揺れて紅蓮の炎に包まれる。
以前見た夢が再び繰り返される。私は目を覚ました。
✰
私はミヨンママから、来年の大学卒業以降に記者会見を開くと聞いた。
「ついにあなたの正体を公表する必要になったわ」
「ママ…!?」
「引退を決めるかは、今のところは決められないけど」
「ちょっと待って! 私、引退なんてしたくない!」
「あなたが今の仕事を続けたいのは分かるわ。でも、今の世の中では、バールが完全に市民権を得ているとは言いがたいの。だから、あなたのこれからを占うためにも、記者会見を試金石にする必要があるのよ」
「何でそうなるの!」
「会見には、アガルタのウキタ所長と政府要人が立ち会う。これは、単なる芸能人のスキャンダルの弁解ではないの。この惑星 アヴァロンの未来のためにも必要な事なのよ。それに、これはあなたとフォースタスの結婚記者会見でもあるし、〈ソロモン・プロジェクト〉についての説明でもあるの」
何というシッチャカメッチャカ 。私は脱力し、その場にへたり込んだ。ミヨンママは私を立ち上がらせる。
「これを見て」
「……?」
紙の手紙。大きな箱いっぱいに、封書の山がある。それらがいくつかテーブルの上に積まれている。紙の手紙とは、本来ならば過去の遺物に過ぎないはずのものだが、実際には、現在の惑星アヴァロンにも根強く残っている。
「あなたへのファンレターよ。電子メールとしてもたくさんあるの。ほら、この端末を見て」
私は端末に映されるファンレターを読む。
《アスターティが誰だろうが構わない。私はあなたを愛している》
《引退なんてしないでくれ。俺はあんたに力づけられたんだ。次は俺らがあんたを助ける番だ》
《チャオランドの曲、サイコー! フォースタスもアスターティもサイコー! くたばれ、「マッチョマン」ホリデイ!》
ドアが開き、誰かが入ってきた。その娘は私に抱きつき、泣いて訴える。
「アスターティ、私はあんたを信じてる!」
「ヒルダ…?」
ドアの向こうには、ルシール、フォースティン、ベリンダ、サーシャらバックバンドメンバーたち、デヴィル・キャッツの二人、ヴィクターとミナ、マツナガ博士、ミサト母さん、シリル父さん、そして私のフォースタスがいた。さらに、驚くべき来客がいる。歳はだいたい、ミヨンママやミサト母さんと同世代。背筋をピンとさせた長身で銀髪をきらめかせた白人女性がそこにいた。 「サトクリフ大統領…?」
【INKUBUS SUKKUBUS - Wytche's Chant '98】