世界樹

「アスターティ!」

「ネミ?」

 ネミッサ・ハラウェイがいた。

「良かった…」 

 私たちは抱き合って泣いた。 

「他のみんなは無事なの?」 

「災害掲示板サイトを診ても分からないね」 

 ネミも私と同じく、無期限休業中だった。彼女は〈ソロモン・プロジェクト〉のためにアガルタに戻っていた。以前の相談とは、彼女の人工授精に使う精子のドナーについての事だった。

 彼女はフォースタスをドナーに指名した。

 フォースタスと私は同意した。それはあくまでも人工授精なのだ。 

 アガルタの外の様子は悲惨な状況だった。アヴァロンシティの都心部は大火災に包まれ、沿岸部は、大津波で多くの人々や建物などが流された。地球史博物館は破壊され、大陸にあるアヴァロン連邦第二の都市アレクサンドリアにある連邦最大の図書館〈アレクサンドリア図書館〉も破壊された。 

 人類の歴史の結晶がテロリストたちに、そして母なる大地に破壊された。〈ジ・オ〉並びに〈神の塔〉のテロリストたちは「茨の国 ソーニア 」で犯行声明を発表し、アヴァロン連邦からの独立宣言をした。 

「ロクシーはあの男のそばにいるよ」 

「あの男?」 

「マッチョマン、プレスター・ジョン・ホリデイ。前々から噂だったでしょ? あの二人の関係」 

「ロクシーとマッチョマンの不倫の噂って本当だったのか…」 

「あの人は、自分から積極的に男性の有力者相手に近づいていたのよ。あの人のバックにはマフィアの有力者がついていたし、そいつらが〈ジ・オ〉と癒着していた。そして、連邦軍の一部の派閥と…」

「ちょっと待って!」 

「え?」 

「アスタロスとゴールディが配属された師団は〈ジ・オ〉の陰謀に巻き込まれたの!? あの二人の行方が分からないけど」

「ソーニア師団は分裂したのよ」 

「そ、そんな…」


「中央政府はソーニアに交渉人 ネゴシエイター を送り込むだろうが、ソーニアの奴らは大統領府にそいつの生首を送り返すだろうさ」

 マツナガ博士は物騒な事を言う。

 御年87歳。髪やヒゲはすっかり真っ白になったが、まだまだ現役バリバリだ。ひょっとしてこの人、不老不死ではないのか? そう疑いたくなる。

「さらに物騒な事態がある。宇宙軍が不測の事態のために〈アヴァロン号〉を大気圏内に降ろす事にした。あれは今も要塞としての、そして空中都市としての機能を保っている」 

 超巨大宇宙移民船、アヴァロン号。かつての地球人の末裔たちをこの惑星 ほし に導いた「ノアの方舟」だ。それは数百年も改修を繰り返しながら宇宙空間にある。若い頃のマツナガ博士は宇宙軍の軍医だったが、その宇宙軍の任務の一つに、このノアの方舟の維持がある。

 いわば、この惑星における最大級の「伝家の宝刀」だ。 

 惑星アヴァロンの周辺には、他にも同様の宇宙船が何隻かある。

「な、内戦が始まるのでしょうか? 地球連邦からの独立戦争以来、戦争などなかったこの惑星 ほし で?」 

 私は寒気を感じつつ博士に訊く。歴史上の出来事である「戦争」が、私たちが生きている時代で起きてしまうなんて。博士はため息をつく。 「内戦…確かに今の ・・ 時代なら内戦 ・・ だな。ソーニアがあくまでもアヴァロン連邦の一州である限りは」

「そんな…!」 

「ソーニアはここから遠いが、奴らの好き勝手を止めなければならん。あのカルト連中は、かつての地球の終末思想に取り憑かれている。アーサー・フォーチュンは功労者たちの粛清はしなかったが、それでも、民間の獅子身中の虫を無視したのはまずかった」


 私は研究所の敷地内をブラブラ歩く。研究所の正門にはロダンの『考える人』のレプリカがあるが、飛行機テロの犠牲になった地球史博物館やアレクサンドリア図書館の正門にも、それはあった。 

 アガルタは晩夏の緑に覆われているが、アヴァロンシティの都心部や沿岸部は、大震災の後始末で混乱している。中央政府がソーニア対策で後手に回るのは必然だった。

「アスターティ!」

 フォースタスだ。

「これを見てくれ」 

 私は差し出されたタブレット端末を手に取る。ディスプレイに映し出される被災者名簿が続く。 「先生が…ユエ先生が…!」 

 フォースタスは私を背中から抱きしめる。その声は涙で濡れていた。


 ✰ 


 私たちはアガルタを仮の住まいとしながら、毎日被災者掲示板サイトを検索していた。街のインフラ修復は進んでいるが、犠牲者名簿の更新はそれ以上に進んでいた。

 ミサト母さんはシリル父さんの家に戻っていたが、無事だという連絡があった。ルーは幼いヒナを抱いて安堵の涙を流す。ミヨンママやヴィクター、ミナ、ブライアン、ヒルダらも無事に避難していた。

 しかし、ベリンダ、ルシール、ゲイナー姉妹一家やサーシャらバックバンドメンバーたち、デヴィル・キャッツやその他仕事関係者は行方不明だ。フォースタスの友人知人たちの消息も分からない。 

 ロビーにあるスクリーンでは、ジャーナリストたちがソーニアの様子を伝えている。遠隔操作のロボット兵器たちが街中を破壊している。

 私はフォースタスと一緒に、実験動物棟に行く。メフィストはそこで、再び犬仲間たちと暮らしている。

「アスターティ! フォースタス!」

「元気か?」 

 フォースタスは、サイボーグ犬たちの頭を撫でる。

 「うん、元気だよ」

  言葉を得た犬たちは言う。 

 「フォースタス、これからも俺たちと一緒にアガルタで暮らそうよ」

 「ここにいれば安全だよ。あの悪い奴らだって、ここにいれば手が出せないよ」 

 メフィストは前に出る。

「こいつらの言う通りだ。少なくとも、街の復興がある程度のレベルになるまでは、ここにいるべきだ」 

「メフィスト…?」

「このフロアでも、色々とニュースは見られる。真偽のほどは怪しいニュースもあるけどな。大陸にある軌道エレベーターが本物の〈世界樹〉になっただなんて、いかにもフェイクニュース臭いが」

「世界樹?」


 私たちは自分らに割り当てられた部屋に戻り、リビングルームのディスプレイを見た。地球の神話に出てくるような〈世界樹〉…どこまでも延びる巨大な樹がある。

 パンジア大陸の中央に建てられている軌道エレベーターが、大地震が起こった途端に、周囲から生えた蔓草が急激に伸び、からみつかれて大木のようになる。どうしても信じられない事態だ。しかも、フォーチュン大統領夫妻の墓も謎の植物に覆われているらしい。その周りには、犬や猫たちがいるという。 

 サトクリフ大統領の演説が映し出される。今は震災からの復興を優先し、ソーニアへの制裁は後回しにする。あのソーニアの事実上の王になった「マッチョマン」プレスター・ジョン・ホリデイは、愛人(いや、「寵姫」と呼ぶべきか)ロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンドと共にほくそ笑んでいるだろう。

「邯鄲グループ各社は業務を再開しているし、他の企業もだ。マスメディアも色々と報道している」 

「あの世界樹は本当に本物なの?」 

「あの辺を取材しているジャーナリストたちが色々と伝えているけど、他にも信じられない事が色々とあるな」

 あの日、私たちを助けてくれた人たちがいる。  フォースタスは言う。

「俺は『ファウストの聖杯』のアイディアを夢から得たけど、俺たちが出会った果心と緋奈は、夢に出てきた二人にそっくりだった」 

「夢の中の二人は本当にいたのかしら?」 

「分からん…。科学が極限まで発達した現代でさえも、まだまだ謎はある。この世には、無神論や唯物論では測り切れないような事が少なからずあるだろうな」 

 フォースタスはため息をつく。

「それにしても、保険に入ってて良かった。我が家を建て直さないとな」 


 しばらく経ってから、私たちの大切な人たちの消息が分かってきた。フォースティンとスコットとナターシャは瓦礫に埋もれているのを救助されたが、フォースティンのお姉さんたちと姪っ子たち、ルシール、ベリンダ、私のバックバンドのみんな、デヴィル・キャッツの二人は亡くなっていた。 

 私たちはマツナガ博士の部屋には行かなかった。 

 博士の恋人だったジェラルディン、すなわちフォースティンの上のお姉さんが亡くなったのが確認されたからだ。

 博士は一人、泣いているだろう。多分、あの人にとっては最後の恋だろうから。


 ✰ 


 夢を見た。どこか、南の島の海岸だ。夢の中で何度も会った、そして、大震災が起こった日に会ったあの二人、果心と緋奈がいる。

 二人は水上に湧く泡を見つめている。新たな生命が生まれる海だ。

 無数の泡が虹色に輝き、〈海の娘〉が生まれる。

 「リンカ、君は健やかに清らかに生まれ変わった。これからは、自分自身の人生を生きて、幸せになってくれ」

 果心は言う。 

「私たちはあの人に会いに〈アヴァロン号〉に行くけど、あなたはあなた自身の道を選びなさい」

 緋奈は言う。

 南の海で生まれたヴィーナスは、二人に導かれ、陸地に上がる。

《お父さん、お母さん、ありがとう》 

 リンカと名付けられた〈海の娘〉は微笑む。


 あれから一年、私の隣に私たちの息子が眠っている。グウィディオン。生まれたばかりのこの子にとって、世界は可能性の大海原だ。この子も多分、誰かの生まれ変わり。私たちは、この子の幸せを願う。

 あの大地震や飛行機テロでの被害からの復興は進む。連邦政府は震災被害からの復興を優先するため、ソーニアへの出兵などを公表しなかった。

 私たちは、サウスアヴァロン市に引っ越した。私の義父シリル父さんの別荘を修復して、その家に住んでいる。家の側には、〈ビストロ・フォースタス〉と名付けられたレストランがあり、邯鄲ホールディングスグループの一員が経営している。この店は、フォースタスが生まれた記念としてその名をつけられた。 

 そのフォースタスが、店でテイクアウトの弁当を買って持ってきてくれた。

「シュクメルリとゴボウサラダだ」

 ゴボウ。かつての地球では、ほぼ日本限定の食材だったが、今の惑星アヴァロンでは一般的な野菜として使われている。そして、シュクメルリは地球のジョージア国の郷土料理で、鶏肉とニンニクを炒めてクリームソースで煮込んだものだ。肉以外では、玉ねぎと舞茸が入っているが、この料理を作る人がいるだけ、レシピはある。

 シュクメルリという料理自体は、私もフォースタスも時々作るが、〈ビストロ・フォースタス〉のオーナーシェフが作るそれは絶品だった。そのオーナーシェフはシリル父さんの末の弟であり、邯鄲ホールディングスグループの一員である。つまりは、私の義理の叔父だ。

 私は昼食として、これらの料理とたまごサンドウィッチを食べる。今の私は、音楽活動を無期限休業しているが、引退する気は微塵もない。ただ、今は他の歌手に楽曲を提供するなどの裏方に徹したい。

「サトクリフさんが引退をほのめかしている」

「サトクリフさんが?」 

 フォースタスは、サトクリフ大統領の近況について話す。党内での後継者選びなどの噂だ。コートニー・サトクリフ大統領は政治家としての覚悟や責任感がある人だけど、テレビやインターネットのニュースを観る限りでは、心労でやつれているようだ。あの人は、ミサト母さんやミヨンママとはそんなに歳は変わらないが、健康上の問題の噂もささやかれている。

「あの人は、任期を満了したら政界を引退するという噂がある。あの人だからこそ、ホリデイめと互角に渡り合えただろうけど、次の大統領候補が心配だ」

【Yusuke Teranishi - The World Tree】