今のアヴァロンシティは一面雪景色だ。私は相変わらず、家と学校と事務所を行き来するだけだ。今の私は勉強と楽曲制作に専念している。
明日から冬休みだけど、怠ける余裕はない。もうすぐクリスマスだけど、私はクリスチャンではないので、クリスマスはただ単に「ご馳走を食べる日」でしかない。何しろ私の名前は、旧約聖書でボロクソに非難されている女神様に由来するし、今の惑星アヴァロンでは「無宗教」を自称しても特に批判されない…あの怪しいカルト集団関係者は別だけど。
フォースタスは道教徒 だけど、あの人にとってもクリスマスは「特別なご馳走を食べる日」のようだ。世間のカップルたちのように、私もあの人と一緒にクリスマスの夜を過ごしたい。だけど、私はまだまだ一人前ではないし、あの人は私を避けている。
来年、私は16歳になる。もう16歳。いや、まだまだ16歳だ。私はまだまだあの人に相手にされない。いや、歳だけの問題ではない。あの人の中にいる何人かの女性たちが、私の前に立ちはだかる。その人たちの前では、私は非力だ。
あの殺されたライラさんだけではない。フォースタスの初恋相手、私そっくりの女の子の亡霊が、私とフォースタスの間にいる。死んだ人を殺す事は出来ない。私には、フォースタスの思い出を捨てさせる権限はない。
それでも、フォースタス。私はあなたが好き。少なくとも、私はあなたを嫌いになりたくない。いつかは私の気持ちを伝えたい。
「メリークリスマス!」
「ひゃっほー!」
「カンパーイ!」
クリスマスパーティ。私は、ミヨンママとブライアンと邯鄲ドリーム所属タレントの二人と一緒に過ごした。ミナは、ヴィクターと一緒に出かけていた。おそらく、私に気を使っていたのだろう。私は、みんなからプレゼントをもらった。
邯鄲ドリームに所属する二人組ダンスユニット〈ダンシング・デヴィル・キャッツ〉は黒人女性とベトナム系女性のコンビだ。この二人は、ダンサーとしてのみならず、ラジオパーソナリティなどの仕事もしている。
「来年のライヴ、楽しみだね!」
浅黒い肌のアデル・グウィンが言う。
「アスターティの『初陣』だもんね」
アデルより肌色が薄いウィニー・グエンが言う。
デヴィル・キャッツの二人は、私のライヴでバックダンサーを務める事になっているのだ。
「今日くらいは仕事の話は休みましょ。ほら、アスターティ。このスモークサーモンのマリネはおいしいわね」
ミヨンママが言う。私はオードブルを食べているけど、まだ未成年なので、当然お酒は飲めない。その代わり、ジンジャーエールを飲んでいる。
デヴィル・キャッツの二人は、今夜はここに泊まるので、遠慮なくスパークリングワインを飲んでいる。
外は静かに雪が降っている。酔っ払ったデヴィル・キャッツの二人は割り当てられた部屋に入って休み、私はミヨンママやブライアンと一緒に後片付けをしている。
「あんた、フォースタスの事考えてるでしょ?」
突然、ミヨンママが私に訊いた。私はギョッとしたけど、図星だったので、素直にうなづいた。
「…やはり、あの子を許していない?」
「…うーん。確かにあの時は許せなかったけど、今思うと仕方がなかったのかな、と思う」
「今は許しているの?」
「…会いたい、とは思う」
そう、私はすでにフォースタスを許している。だけど、あの人はおそらく自分自身を許していないだろう。私は、フォースタスを慰めたかった。だけど、今の私には何も出来ない。
後片付けを終わらせ、私は窓の外を見る。雪が月明かりにきらめいていた。
✰
アヴァロン連邦暦346年、1月。まだ冬休みだが、私は勉強と楽曲制作で忙しかった。しかし、今日はミヨンママに連れられて事務所に行った。色々と話し合いがあるのだ。
私の所属事務所〈邯鄲ドリーム〉は、邯鄲ホールディングスのビルの中にある。私は、オフィスに入って驚いた。ミヨンママの息子ブライアンと、フォースタスの弟ヴィクターがいるのだ。
ミヨンママの娘で、ブライアンの姉ミナ…カーミナ・ヴィスコンティはすでにこの会社の社員として働いている。ひょっとして、ブライアンとヴィクターもここに入社する事になるのだろうか?
「あの二人を雇うわ」
ミヨンママは言う。
「正式に入社する前から、色々と教えておかないとね」
さらにママは驚くべき発言をする。
「私、そのうちヴィックに社長のポジションを譲ろうと思うの」
「え!?」
私はミヨンママの発言に驚いた。ヴィクターはまだ入社すらしていないのに?
「あんたのマネジメントに専念したいから。もちろん、ヴィックは放送作家の卵でもあるし、この会社の実質的な『司令塔』はしばらくは私とミナね」
ヴィクターはいわゆる「投稿職人」として、ラジオでたびたびネタの投稿を取り上げられている。その関係で、放送業界とのコネがあった。しかし、いくら邯鄲グループの会長の息子とはいえ、入社していきなり社長に就任するのは、あまりにも無茶な人事だ。
ただ、私が知るヴィクターは、世間での「末っ子」のイメージとは違ってしっかり者だ。むしろ、フォースタスの方がよっぽど末っ子みたいな印象だ。それに、フォースタスの幼なじみで親友のランス…ランスロット・ファルケンバーグがあの人の兄貴分みたいな人だから、なおさらそうだ。
だけど、当のランスはいまだにフォースタスを許していない。誰かがそう話していた。
冬休みが終わり、私は、ルシールやフォースティンと遊びに行く機会もなく、家で勉強や楽曲制作をしていた。いつかマツナガ博士に言われた通り、手抜きなんてしている余裕はない。本気を出さなければならない。
次への一歩のために。
✰
私は一人でカフェに入り、カプチーノとチーズケーキを注文した。
近くに一人の女性客が座っている。彼女は電子書籍端末を手にしている。おそらく、芸能ゴシップ記事を読んでいるのだろう。華やかな金髪を束ねて結っている白人女性だ。サングラスをかけているので、どのような目をしているのかは分からないが、隠されていない鼻や口元は端正だ。要するに、美人だ。
人は美人と不美人の区別をつけるポイントとして「目」を挙げるが、私が思うに、むしろ鼻こそが最大のポイントだ。目は多少小さくても化粧法次第でごまかしが効くけど、鼻はそうはいかない。ましてや、顔のど真ん中という立地条件にあるのだ。
その彼女のテーブルに一人の黒人女性がやって来た。どうやら途中でトイレに行っていたらしい。彼女は金髪美人の友人のようだ。
私は彼女たちのおしゃべりに耳を澄ましていたが、二人はお互いを「ゴールド」「シルヴァー」と呼んでいた。どうやら、白人の方が「ゴールド」で、黒人の方が「シルヴァー」らしい。おそらく、彼女たちはこの近辺の大学生なのだろう。
私とミヨンママはショッピングモールに買い物に行った。
今日はちょっとしたお祝いの日だ。我が家ではささやかなパーティが開かれた。ミナとブライアンも一緒だ。さらに、ヴィクターも来ていた。
「はい、これは前祝い」
ヴィクターは私にプレゼントをくれた。
「今日は君のデビューの前祝いだけでなく、僕とブライアンの入社の前祝いでもあるからね」
そう、ヴィクターとブライアンは、邯鄲ドリームへの入社が正式に決まったのだ。
「ありがとう、ヴィック」
箱の大きさや形からすると、中身はおそらく腕時計だろう。
ヴィクターは、ある放送作家に弟子入りしているそうだ。それで、いくつかの企画を手がけているらしい。私はヴィクターに今のフォースタスについて訊く勇気がなかった。
フォースタス。今はどうしているのだろう?
私はヴィクターのプレゼントの箱を開けた。予想通り腕時計だが、普段使いのものではない。少なくとも、高校生が学校で身につけるようなデザインではない。金と銀のメッキの繊細なブレスレットに、小さな時計が付いている。これは、パーティ向けのものだ。
そして、箱にはヴィクターからの手紙が添えられていた。
《どうか、うちの兄貴を責めないでほしい》
分かっている。私は今さらあの人を責める気なんてない。
アヴァロン連邦暦346年5月1日。私は歌手デビューした。デビューアルバムのタイトルは『Lucidity(明晰さ)』。デビューシングルも同じタイトルだ。都内のライヴハウスでの初ライヴも、無事に成功に終わった。
すると、私はにわかに校内で注目されるようになった。私に近づいて、友達付き合いを求める女の子たちも何人かいた。私は、以前よりは校内での交友関係を大事にしようと思った。
しかし、自分の発言や行動に不手際があるのはまずい。私は引き続き、クラスメイトたちを警戒する必要があるのだ。
ある種の成人男性は、十代の女の子たちに対して幻想を抱いているようだけど、多分、下手な成人女性よりも十代の女の子の方が、よっぽど精神的に残酷だ。これは新しいクラスメイトから聞いた話だけど、知り合いの男の子が「女子が怖いから男子高に進学したい」と言っていたそうだ。
おそらく、女性嫌悪の大半は「女心嫌悪」だ。元々トランスジェンダーではない男性主人公が美女に変身して活躍するフィクションこそが、その証拠だ。
私は部活動をしない。何しろ、学業とプロのミュージシャンとしての仕事の両立を果たす必要があるのだ。だから、かえって中学時代よりも交友関係が限られている。ハイスクール最後の学年末に行われる舞踏会 にも、参加する気はない。
明日は、テレビで初めて生出演をする。私はこの番組で生演奏をするのだ。もちろん、サーシャたちバックバンドやデヴィル・キャッツも一緒だ。緊張する。
この番組には「あの」ロクシーも出る。私は、初めて彼女に会うのだ。
【Wide Eyes - Lucidity】