「いい風だ」
のどかな春の陽気。気分が良い。授業を終えた学生たちがあちこちにたむろしている。
シャホウ・レイ(夏侯雷)、またの名をアイヴァン・レイ・シャホウは、アヴァロン大学医学部の構内をうろついていた。彼自身がここの学生なのだから、それ自体はおかしくない。問題は、彼自身の出自だった。
彼は、マフィア〈聖杯幇 〉の御曹司なのだ。そんな彼がこの大学にいるのは、色々とややこしい。しかし、彼自身は、自分の実力で入学試験に合格した。
家柄はさておき、彼は身長190cmという長身が目立っていた。それに、鋭角的な顔立ちがさらに凄みを感じさせる。
彼ににらまれた人間は、ビビってチビってもおかしくない。それぐらい、鋭い眼光だった。
「かつての日本には『五月病』なんてのがあったらしいな…孟嘗君 と関係あるのかな? まあ、現実的に考えるなら、環境への適応などの問題だろうな。日本では、4月が入学シーズンだったのだから」
5月上旬の爽やかな風がキャンパスを通り過ぎる。レイは、手で口を押さえずに大あくびをした。
「げ! 虫が入りやがった! ゲホゲホ!」
〈聖杯幇〉の企業舎弟の一つに〈リリス・グレイル〉社があるが、この会社こそが、バールたちを生み出す民間企業の一つである。
アガルタの「官製バール」が普通の人間とほとんど変わらない外見なのに対して、リリス・グレイル社製バールは、良くも悪くもバラエティ豊かな姿形の者たちが多い。例えば、かつての地球で流行したファンタジーフィクションに登場する妖精 のような尖った耳を持っていたり、天然の人間にはあり得ない髪色や目の色の者たちもいる。さらには、整形手術などによって猫耳や尻尾や毛皮の皮膚を身につけた「猫女」などの異形のバールたちもいる。いずれも、アンダーグラウンドの世界で取り引きされる「商品」だ。
中には、顧客を飽きさせないように、人為的に多重人格者に設定されたバールたちもいる。彼らは、主人の好み次第でしばしば「モード」を切り替えられる。そして、それに合わせた装いと振る舞いで主人を楽しませるのだ。
「我が社自慢の、最高級のリアルラブドール。かつての地球の高級スポーツカーと同じく、客を選ぶ商品だよ」
レイは、この「仕事」のために医師免許を得るつもりだった。少しでも「家業」についての知識や技術を身につける必要があるからだ。
アガルタには、多くの科学者や技術者たちがいるが、医師・歯科医師・獣医師たちも多く在籍している。そして、フォースタス・チャオの母ミサト・カグラザカ・チャオ博士もアガルタの研究者の一人だ。
「フォースタスか…」
レイとフォースタス・チャオは、ミドルスクール(現在の日本の中学校に相当する)で同じクラスにいた。その頃、大事故があった。
当時の十大ニュースに入るほどの大事故。かなりの犠牲者を出したが、あまりにも謎が多い。それだけに、メディア上では様々な憶測があった。
あの事故の犠牲者の中には、当時のクラスメイトもいた。昔の事故について思い出しているうちに、一人の男が来た。彼は、別の学部の学生だ。
「若旦那、お待たせしました」
ホレイショ・ハーパー・トラン…アヴァロン大学法学部の学生、18歳。〈聖杯幇〉幹部の息子であり、シャホウ・レイの舎弟である。しかし、この青年はマフィアの一員の息子とは思えないくらい、温和そうな人当たりであり、彼の出自を知らない者は、まずは彼がマフィアの関係者だとは想像がつかない。
「おう、帰るか。しかし、今日はせっかくだから寄り道しないか?」
「そうですね。僕、おいしいお好み焼き屋を知ってますけど、どうでしょう?」
「おう、そこに行こう」
レイとホレイショは大学構内を出た。すると、やかましい街宣車が通り過ぎる。
「何だ、あのうるさいのは?」
「ああ、〈神の塔〉ですね」
「〈神の塔〉って、あの〈ジ・オ〉の政治部門の泡沫政党か?」
レイはあからさまに、うんざりした表情を見せる。ホレイショも愉快ではない。
「色々な意味で商売敵か…うっとうしいな」
二人は繁華街を目指した。
✰
「双剣の騎士、ベイリン」
マーク…マーカス・ユエはゲームセンターにいた。彼は格闘ゲームで遊んでいる。連れはいない。彼は時々、学校帰りに一人でこのゲームセンターに立ち寄る。
軍隊や警察官の訓練にも使われる技術の応用。彼は個室に入り、体を動かした。このカプセル内でのプレイヤーの動きが、ゲームのキャラクターに反映される。
「チクショウ! こいつめ!」
マークは、両端が丸く成形された棒状のコントローラーを振りかざした。それも、二刀流だ。
この時代においては、このようなヴァーチャルリアリティ技術は古典的なものである。しかし、この手の疑似体験ゲームは、今でも根強い人気がある。
このゲームは様々なシチュエーションを選べるが、彼が選んだのは、アーサー王伝説をイメージした異世界だった。
「フン、雑魚どもめ」
騎士ベイリンに扮したマークは、次々と襲いかかる敵どもをなぎ倒す。彼はカプセルの中で飛んだり跳ねたりしている。
あたかも、自らの鬱屈をしばき倒すように。
「あいつ、絶対に怪しい」
父の古くからの知人で教え子。そして、母の絵のモデルとして雇われている男。新進気鋭の小説家。
フォースタス・チャオ。
マークは、自分より5歳年上のこの男が気に入らなかった。いわば、疑似カイン・コンプレックスだろう。
確かにマーク自身も、幼い頃からフォースタスと顔見知りだ。しかし、彼は早い時期からこの若い男に対して嫉妬していた。フォースタスは彼に対して親しく話しかけようとしていたが、マークはサッサと自室に閉じこもった。
どうやら、マークの父アーサーはフォースタスに対して、マークの兄代わりの役目を期待していたようだが、マーク自身は自分が一人っ子である事に満足していた。なぜなら、彼は自らの嫉妬深さを自覚していたからだ。
「雑魚どもが!」
彼は、貧乏大家族の息子であるクラスメイトを見下していた。しかも、ただ単に貧乏人の子だからではない。そのクラスメイトの両親が、あるカルト集団の下っ端信者だという噂があるのだ。問題の少年は、他のクラスメイトたちに対して礼儀正しく優しく振る舞っていたが、マークの目には、それが単なる媚びにしか見えなかった。事実、問題の少年の陰口を言う連中は少なからずいる。
それに対して、彼自身は自らの一人っ子暮らしに心から満足していた。友達だっていない。余計な兄弟姉妹や友人たちごときと比較されて、肩身の狭い思いをするのは真っ平だ。家の中の「王子」は、自分一人で十分だ。
それに、地球史の授業で嫌というほど知っている。一体どれだけ骨肉の争いが繰り返されたのか?
「ケッ、クソッタレが」
彼はコントローラーを所定の場所に戻し、カプセルを出た。
そんな彼を目で追う男がいた。ダークグレーのスーツに身を包んだ彼は黒人のいかつい大男で、ゲームセンターに隣接するカフェから出てきたところだ。
「あの子、時々来るけど、友達を連れて来た事はないな」
男は携帯端末を取り出し、検索する。
「作家アーサー・ユエと画家ライラ・ハッチェンスの一人息子か…。なるほど、アスターティのクラスメイトか」
彼は携帯電話で何者かと話す。
「おお、ヤン。さっき、アーサー・ユエの息子を見かけたのだけど…」
彼は今まで、何度となくマークの様子を観察していた。
《我ら、〈地球人〉は本来あるべき秩序を取り戻し…》
街宣車がアジテーションをがなり立てる。カルト教団〈ジ・オ〉の政治部門〈神の塔〉の街宣車だ。
「ふん、うるせぇ奴らだな」
マークは鼻を鳴らす。彼は内心、相手に対して中指を立てている。
「何が『秩序』だ」
彼は大人たちを軽蔑しているが、その理由の一つに「秩序」があった。
「どうせ奴らは、てめぇにとって都合の良いガキばかりを求めてるんだろ」
子供好きの大人はたいてい、自分のような子供が嫌いだった。マーク自身も、あざとく子供好きをアピールする大人が嫌いだった。大っぴらに若者を軽蔑する大人もムカつくが、逆に若者に迎合する大人も目障りだ。
身体改造をしているアウトサイダーたちが、街宣車に罵詈雑言を浴びせ、舌を出して中指を立てている。マークはあのアウトサイダーたちにはさほど嫌悪感は覚えない。
「あいつら、かっこいいとまではいかないけど、かっこいいんだな」
マークは「人外」アウトサイダーたちに対して微妙な共感があった。自分もあのように逸脱したい。しかし、学校の校則では、トランスジェンダー当事者の性別適合手術や、欠損した四肢やその他器官などの移植手術を数少ない例外として、あのような身体改造は禁止されている。
「規則なんてクソ喰らえだぜ」
マークは家に戻り、自室に引きこもる。殺風景な部屋には、これといった書物はないが、彼は読書家自慢をする連中を軽蔑していた。
軽蔑。そう、それこそが彼の生き甲斐ですらあった。しかし、それ以上に彼は「怨念」を持て余している。
「あの野郎、許せねぇ」
マークは壁を蹴飛ばす。しかし、衝撃に強い素材はやんわりと彼のキックを受け流す。
✰
「ホリデイについて色々と疑問があるけどな」
「休日 がどうかしたのですか?」
「いや、一般名詞ではない方のホリデイ だ」
レイとホレイショは、お好み焼き屋で腹ごしらえをしてから、スポーツバーに立ち寄っていた。野球、サッカー、競馬、カーレース、プロレスにボクシングにテニス、何でもござれ。今は壁のディスプレイで、先週あった競馬の動画を配信している。
「白毛馬、〈ノブナガビアンコ〉か」
邯鄲 ホールディングスグループの総帥シリル・チャオは例のフォースタス・チャオの父親であり、大馬主でもある。彼が所有している白毛の牡馬ノブナガビアンコは、すでにG1レースを2勝している。
「それはともかく、ホリデイの話だ」
「あ、あのホリデイですか」
アヴァロン諸島の東にある、この惑星最大の大陸であるパンジア大陸の南部にあるソーニア州の知事、プレスター・ジョン・ホリデイ。彼は元弁護士であり、アヴァロン連邦の現大統領であるコートニー・サトクリフは、彼の大学時代からのライバルである。サトクリフは女性であるゆえに、ミソジニストのホリデイにとっては目の上のたんこぶであるようだ。
「女好きのホリデイが一番嫌っている女、それがサトクリフだ。もしかすると、奴が過去にサトクリフに振られたのかもしれないな」
「いわゆる『女体好きの女嫌い』ですか」
「ああ、奴は強者男性のガワ をかぶった弱者男性みたいなもんだ。基本的に自分以外の男は嫌いだが、自分の立場を脅かす女はさらに大嫌い。それがあのプレスター・ジョン・ホリデイという男だ」
「なるほど、奴がバールたちを嫌うのもその延長線上の心理でしょうね」
「多分、バール連続殺人事件の背後にも関わっているだろう。俺らにとっても他人事じゃないぞ」
【Mordred - Falling Away】