祝福の果実

 極彩色のアヴァロンシティに粉雪が降る。ひんやりとした冬の街の中、アスターティのサードアルバムの制作は順調に進んでいる。今回は俺もバックヴォーカルとしてレコーディングに参加した。 

 俺も自分自身の仕事が順調だ。あの頃のシッチャカメッチャカ ヘルタースケルターが嘘みたいだが、あのような試練を経てこそ、今の俺がいる。

 繁華街の活気の中、俺とアスターティは買い出しに出ている。たくさんの荷物を扱うし、ペット厳禁の場所もあるから、メフィストはリチャード・タヌキコウジ博士のクリニックに預けている。もちろん、今日の買い物ではドクター・リッチーへのお土産も忘れない。俺たちは全ての買い出しを終え、車をクリニックに走らせる。

「おお、フォースタス! 僕、このエッグタルトが好きなんだ。ありがとう」 

 俺たちはメフィストを引き取り、家に戻った。テーブルの上には小さなクリスマスツリー、この街のように極彩色に光る。

「さて、下ごしらえだ」 

 俺とアスターティはキッチンに入る。メフィストはテレビを観ているが、あいつはスポーツ番組が好きだ。特に、俺と同じくバスケットボールやサッカーの試合が好きなのだが、あいつはボクシングなどの格闘技も好きだ。そんなあいつは、ランスの弟ロビンのファンである。ロビンはすでに、プロボクサーとして頭角を現しているのだ。


「メリークリスマス!」

 惑星アヴァロンは仏教などの多神教信者も多いが、それでもこのクリスマスという行事は残っている。 

 かつての地球とは違って、もはや特定の宗教の祝祭日ではない。全ての「太陽」の誕生を祝う日、祝う夜。一応、道教徒 タオイストの俺も、惚れた女と一緒に聖なる夜を祝う。

 神の名のもとに殺し合うなんて、時代錯誤。みんな、限られた人生を精一杯楽しもう。俺たちは皆、幸せになるために生まれて生きているのだから。

 酒に対してまさに歌うべし。いや、俺もアスターティも下戸だ。だから、俺たちはスパークリングワインの代わりにジンジャーエールを飲んでいる。 

 俺たちはクリスマスのご馳走を楽しんだ。もちろん、犬であるメフィストには、犬の体に害のないものを飲み食いさせた。

「『ファウストの聖杯』、新人さん主演で再上演されるのね?」 

「ああ、あれは俺から独り立ちしている。あの劇はシャーウッド・フォレストのものだからな。まあ、原作の小説自体は、作者の俺自身のものだけど、原作は原作、アレンジはアレンジだ」

 そう、ただ前に進むだけ。たまには過去を振り返るのもいいけど、それだけではダメだ。

 未知の未来にこそ、顔を向けよ。人は求める限り迷うもの。しかし、迷いにばかり足をすくわれてはいけない。


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 夢を見た。老夫婦になった俺とアスターティは、サウスアヴァロン市にある家に住んでいた。そこは、かつては俺の父さんの別荘の一つだったが、俺とアスターティはこの家を譲り受けて改築した。

 俺たちの息子の一人は映画監督になっており、娘の一人はオーナーシェフとして〈ビストロ・アスターティ〉という名前の店を経営している。夢の中には5人の子供たちがいるが、全員成人済みだった。

 この夢の中では、父さんも母さんもマツナガ博士もすでに亡くなっていた。もちろん、犬であるメフィストもすでにいない。だいぶ未来だ。それまでに何度も大統領が替わり、アヴァロン連邦全体が以前ほどの栄華がないかのようだった。プレスター・ジョン・ホリデイはすでに故人だったが、ソーニア州ではホリデイを神格化する者たちがいるようだった。 

 ロクシーことロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンドは、ホリデイの愛人だったとされるが、彼女はホリデイの死後に、ソーニアの沿岸の島々で「海賊の女王」として君臨したという噂があった。もちろん、無責任なマスメディアの与太話に過ぎないが、色々といかがわしい噂があった彼女には似つかわしい末路だった。

 俺とアスターティは共に、それぞれの業界の第一線から退いている。長女は俺と同じ小説家として、次男はミュージシャン、三女は女優として、それぞれ頑張っている。

 理想の黄昏。夢の中の俺は、平穏な余生を過ごしていた。自由な土地で、自由な民たちと共に生きる。時よ止まれ、お前は誰よりも美しい。アヴァロン連邦初代大統領アーサー・フォーチュンから受け継いだ魂の灯火を、俺たちアヴァロンの民は受け継いでいる。 

 そう、アヴァロン連邦という「世界国家」なき後も。 

 パンジア大陸中部にある軌道エレベーターは「世界樹」となり、周りを色とりどりの花々が彩る。歴史と科学の時代は、再び神話と魔法の時代へと移り変わるかのようだった。

「ねぇ、見てみておじいちゃん!」 

 孫たちの一人が、学校の授業で描いた絵を見せてくれた。 

「うん、よく描けたね」 

 俺とアスターティの孫は満面の笑顔を見せた。 「あなたに会えて良かった」

 白髪の老婦人となったアスターティは言う。歳を重ねて〈賢女〉となった、我が伴侶の微笑み。俺も、お前に会えて良かった。


 そう、それが今年の俺の初夢だった。まるで、一部のフィクションにある手法「未来回想」のようだった。

 隣では、アスターティがまだ眠っている。子供のように無邪気な寝顔。俺は彼女の額を撫で、バスルームに行った。 


「相変わらずおいしい!」 

「ありがとう」

 アスターティはいつも喜んで俺の料理を食べてくれる。俺は年末年始には、和食である筑前煮を作る。新年のご馳走として、近所のレストランのテイクアウトメニューであるオードブルや寿司のセットなどの注文もするが、母さんやマツナガ博士から教わったレシピで料理を作る。 

 すでに夕食を平らげたメフィストはテレビを観ている。スポーツニュースでは、競馬の話題を取り上げており、父さんの持ち馬の担当だった騎手がインタビューを受けている。

「ノブナガは今年から種牡馬入りね」

「ああ、楽しみだ」 

 父さんの持ち馬、ノブナガビアンコは去年競走馬を引退し、種牡馬入りした。あと数か月で種付けの季節だ。来年子馬が生まれたら、名前をいくつか父さんに提案したい。

「ノブナガそっくりの白毛が生まれたら、牝馬ならお前の名前をつけたい。でも、ただの〈アスターティ〉だったら単なる女神の名前だから、何か良い単語と組み合わせたい」 

「ありがとう、フォースタス」 

 アスターティはにこやかに、レモン汁をかけた唐揚げを食べる。俺はサーモンの握り寿司を食べる。


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「今年の桜もきれいね」 

 また、桜吹雪の季節が来た。俺たちはセントラルパークを散歩している。 

 メフィストは、公の場ではほとんどしゃべらない。何しろ、こいつの正体はアスターティの正体と同じくとんでもない機密なのだから。ただ、本物の犬そっくりの「しゃべるロボット犬」というのは子供の玩具として一般的だが。それでも、油断禁物。 

 それにしても、いくら俺がアガルタの研究者と邯鄲ホールディングス会長の息子だからといって、こんな情けない男に「機密」を預けるのは無茶だ。 

「この絶妙な薄いピンクがいいのよ」

 桜の花が好きなアスターティは、桜のように淡いピンク系の化粧をしている。しかし、バールである彼女は、普通の人間以上にスッピンがきれいだ。それに、薄化粧だ。女にとって化粧はあくまでも、自己満足としてのオシャレなのだ。

 アスターティはカメラのシャッターをバシバシ切っている。来年もまた、同じように桜の写真を撮りまくるだろう。

「今年は建国350年記念式典があるんだな。それでお前は記念コンサートに出るんだな」 

「緊張するわ」 

「そこで新曲を るんだな?」

「うん、私自身も気に入ってる」 

 俺は地球史は好きだが、惑星アヴァロンの歴史はちょっと苦手だ。ただ、学問として苦手だというのとはちょっと違う。あまりにも「生々しい」からだ。

 まあ、どの時代であれ、身近な歴史は生々しいのだから、扱いはややこしいのだ。それは、俺たちの祖先である地球人の時代から変わらない。

「スコットからまた話があったんだ。今度は『Blasted』を舞台化したいって」

「『Blasted』…シャン・ヤンさんの名前の由来になった人が主役の小説ね?」 『Blasted』、サブタイトルは「わざわいをはかるもの」。このタイトルは、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を意識して名付けた。自らが作り上げたものに滅ぼされた男の物語だ。彼、商鞅 しょう おう もまた、ファウスト的なヒーローなのだ。

 桜吹雪の中で、俺は言う。

「アスターティ。お前が大学を卒業したら、結婚しよう」 

「フォースタス…!」

「お互いに頑張らないとな。俺も頑張る。これからもよろしくな」 

「ありがとう、フォースタス」 

 桜色の空気の中、俺たちは周りの様子を忘れて、抱き合ってキスをした。その時は思わずメフィストの存在をも忘れていたけど、こいつは俺たちに呆れていただろう。 

「そろそろ帰るか?」

「ええ。一通り満足出来る写真は撮れたし、行きましょ」 

続き ・・ は家に帰ってからな」

 メフィストは俺たちをからかった。やはり、呆れていたのだ。

 俺たちは駐車場に行き、車に乗り込んだ。

 桜吹雪の街中を風が通り抜ける。良い風だ。この嬉しさや楽しさが少しでも長続きするように。  俺たちはみんな、幸せになるために生まれて生きているのだ。

 この現代の〈ビッグ・アップル〉アヴァロンシティで、みんなが。

【MISIA - Into The Light】